八九式重擲筒用試製照準子

筒身を45度の角度で正確に保持するのは可能だけど、いろいろ難しかったのでしょうね。

 日本軍の擲弾筒は砲架を持たない軽迫撃砲で、筒身を手で斜めに保持し、榴弾を砲口から装填して発射します。砲架がないため軽量で携行性に優れ、砲の運用を兵士一名でも可能にしたという点で非常に優れた兵器といえそうです。対日開戦後に米軍が急遽、60ミリ迫撃砲の擲弾筒的運用を真似たのもそれを証明しているといえます(→「日本軍を真似た…が、上手くいかなかった?米軍60ミリ迫撃砲“ONE MAN MORTAR METHOD”」

 日本軍の擲弾筒には手元にある撃針位置を上下にずらすことで射程を調節できる機構が付いていました。射撃時は斜め45度の角度で保持し、撃針位置で射程を変えるわけです。しかし、手で 45度の角度を正確に保持するのは可能ではあっても実用上は困難があったのでしょう。 1941年に採用された試製照準子の存在がそのことを示しています。

  試製照準子は「八九式重擲筒ニ取付ケ筒ニ四十五度ノ射角ヲ付与スルノ用ニ供ス」もので、螺着式のバンドで筒身に取り付ける指針型の水準器です。 この図面は防衛研究所が所蔵している現地改修のための取扱説明書に収録されているものです。筒身に穴をあけてネジ留めし、バンド部を締めて取り付けます。

 このようにバンド部には筒身の方向照準線に合わせるための溝切りがなされ、赤色のペイントもされています。 45度の発射角度に合わせることができるように小窓の夜光塗線に中のゲージを合わせるようになっています。小窓はベークライト製で、内部のゲージは傾斜角度によって動き、45度の位置で停止します。

 筒身を仰角45度に保つのは訓練で習得はできます。しかし、夜間の暗闇下で目視確認ができない場合に45度を保つコツは熟練していないと相当に難しいでしょう。ゲージに夜光塗線が採用されているのがその証です。また、日中であっても火線下ではゲージがあるとないとでは心理的にも違う気がします(焦って平常心じゃない時こそ役立つ)。 

 「試製」の名称ですが、現存する史料では1941年に陸軍兵器本部長宛で三万個の調達が指示されています(→アジア歴史資料センター「Ref:
C04123065200」
)。調達数からも全軍配備といえると思います。1942年には「八九式重擲弾筒用試製照準子説明書」として、現地で改修が可能なように作業手順も含めた取扱説明書も発行されています(この説明書は防衛研究所に所蔵されています)。

 試製照準子の普及率については史料未見のためにわかりません。ただ、米軍が戦地から持ち帰った擲弾筒が不活性処理されてコレクションとして市場に出ており、これまでオンラインで販売されてきたものを見る限りでは、試製照準子が付いているものは半数を下回る割合、およそ3割程度という印象があります。

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