著書の紹介

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 二〇二〇年の東京オリンピックから「スポーツクライミング」として正式種目になったロッククライミング。元々は険しい山登りのために近代欧州で発達した登山技術だったが、近代戦争で戦いの場が山岳にまで及ぶと、戦闘技術としても重視されるようになった。戦前の日本陸軍でもロッククライミングを重要な戦闘技術のひとつとして受容し普及につとめている。本書はロッククライミングが日本陸軍でどのように受容されたのかを紹介する。
 ヨーロッパアルプスで国境を接する欧州各国(仏伊墺独)には、スキーや氷雪技術、ロッククライミングを習得した山岳兵による常設部隊が存在した。国土全体が山地からなり、登山人気を誇る日本の国民にとって、このような欧州の山岳部隊はエリートとして畏敬と羨望の的だった。
 日本陸軍には、このような山岳部隊はなかった。なぜだろうか?答えは単純である。必要がなかったからだ。
 ただ、これには「当初は」の但し書きがつく。日中戦争とその後の太平洋戦争の戦況悪化は、日本陸軍に山岳戦の必要性を突きつけることになった。日本にとって山岳戦は、戦いを有利に進めるための戦術ではなく、敗退の中で生き残るための戦術として必要とされたのである。
 日本陸軍にとってロッククライミングはひとつの戦技に過ぎない。しかし、その戦技がどのように受容されていったのか過程をたどると、時代とともに変化を余儀なくされた当時の日本陸軍の戦略―帝国日本が置かれた熾烈な国際情勢とそれに応じた日本の国策―が見えてくる。
 本書は、日本山岳文化学会で発表した論文を元に、新たに得た資料を盛り込んで文章は大幅に加筆し、未公開の図版も追加したものである。

【目 次】
 ・はじめに
 ・第一章 陸軍戸山学校におけるロッククライミング研究
   東京新宿にあった人工壁
   陸軍戸山学校の体操教育
   一九二八年に行われた最初のロッククライミング実技
   戸山学校の部内誌『体育と武道』
   戸山学校でのロッククライミング研究の始まり
   人工壁の完成―研究から教育フェーズへ
   戸山学校流のロッククライミングはどのようなものだったか?
   腕力づくで登る方法は時代遅れ
   焦燥感を募らせる民間登山家たち
 ・第二章 日本陸軍の山岳戦に対する認識
   山地戦の研究に力を注いだ日本陸軍
   日本陸軍の予想戦場
   囲壁(城壁)通過技術としてのロッククライミング
 ・第三章 上陸戦の研究と制式クライミングギアの開発
   コレヒドール要塞攻略を目的としたロッククライミング研究
   陸軍工兵学校におけるロッククライミング研究
   日本陸軍初の制式クライミングギア
   陸軍工兵学校における「断崖攀登優技兵」教育
   上陸戦としてのロッククライミング
   対米戦につながる情報としてロッククライミングは秘匿された
 ・第四章 上陸戦から山岳戦へ―戦域の拡大と戦術の変化
   コレヒドール要塞攻略における戦例
   幻の国軍最大の陸上作戦―五号作戦(四川作戦)
   中国山西省における山岳部隊の編成
   南方戦局悪化による四川作戦の中止
 ・第五章 劣勢下の山岳戦―ニューギニアから本土決戦へ
   南方ニューギニア山岳戦の実情
   戸山学校に対する民間登山家の協力
   木曽駒ヶ岳で実施された大規模山岳演習
   国軍初のロッククライミングマニュアルの登場
   従来の常識とは異なる山岳戦における行動内容
   民間登山家の知見を取り入れたロッククライミング技法
   全兵をクライマーに―本土決戦に向けて
 ・あとがき
 ・参考引用文献

 一九三七年~一九四五年にかけて日本と中国の間で戦われた日中戦争。召集によって多くの日本人男性が兵士として中国の地で戦い、さらに多くの民間人も中国に渡ることで、戦争中の中国でなければ出来ない様々なことを日本人に体験させました。
 それらはすべて日本のため、戦争に勝つための大義の下で行われました。戦争をより悲惨で暗いものにするものもあれば、現地の民生向上に役立つこともありました。日中戦争の八年間を長いとみるか短いと見るか。現地で日本人が手がけた取り組みの多くは中途半端に終わりましたが、戦争ゆえに人を傷つけることの方がはるかに多いなかで、結果として戦後数十年にわたり現地の生活や文化を支える結果になったものもあります。
 本書では、そのような日中戦争下の中国で日本人が取り組んだ・巻き込まれた様々な出来事を紹介します。戦争・政治・経済・社会・事件。戦争下の中国大陸を単に戦場としてだけ見るのではなく、様々な側面から光を当てる。本書のタイトルである「プリズム」は、光の当て方によって見えるものが変わる、転じて史観の多様性を示すとともに、当時の状況を様々な切り口から見ることで共通する何かを見いだしてみようという野心的な試みを表現したものです。
 本書は、ブログ「日華事変と山西省」で発表した記事を新たに書籍向けに再構成したものです。新たに入手した資料を元に各項を加筆したほか、書き下ろしの文章も加えています。

【目 次】
・序章 日中戦争のはじまり
  二〇世紀の幕開け――動乱の中国大陸と帝国日本
  戦火の拡大――盧溝橋事件から全面戦争へ
  泥沼化する中国戦線
  華北占領地における取り組み
・第一章【戦争】戦術と兵器の実験場
  初陣で不評を浴びた機械化部隊
  内モンゴルで試みられた国軍初の空挺作戦
  風陵渡の“ドラム缶”黄河砲撃戦に出陣した二十八糎榴弾砲
  山西省から始まった中国大陸における毒ガス戦
  重慶攻略に向けた山岳戦研究
・第二章【政治】国府・中共・日本――三者の確執と連携
  反蒋・容共・通日――閻錫山と板垣征四郎の深謀遠慮
  中国共産党の「抗日救国」
  日華合作の日本軍機密費
・第三章【経済】占領地で試みられた「新中国建設」
  「大黄河治水」三門峡ダムの戦前・戦後
  幻に終わった中国最大の化学工場「華北窒素」
  占領地の都市計画/黄土の大地の水田開発
・第四章【社会】日本人が生きた中国
  支那の蝗害
  雲崗石窟と日本人
  黄河のほとりで戦死した女性漫才師
  山西残留と河本大作の後半生
・第五章【事件】戦火が潰えた人の尊厳
  歴史の闇に埋もれた陽高事件
  蒋介石の「以水代兵」―黄河決壊事件の人的被害
  太原陥落に起きた集団自決事件「太原五百完人」
・著者紹介

論 文

「日中戦争下の山西省太原における博物館保護」

東京国立博物館『Museum』 677号、47-61頁、2018年12月。

「日本占領下の中国山西省における上水道建設」

ジェトロ・アジア経済研究所『アジア経済』56巻4号、28-56頁、2015年12月。

「日中戦争下の山西省太原都市計画事業」

ジェトロ・アジア経済研究所『アジア経済』54巻2号、56-78頁、2013年6月。

「日本陸軍とロッククライミング 」

日本山岳文化学会『論集』9巻、17-26頁、2011年11月。

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