慟哭のキャタピラ…獅子神社参拝

今週、仕事の関係で静岡県を訪れる機会があり、富士宮にある若獅子神社にお参りに行ってまいりました。雲ひとつない秋晴れのなか、静かに参拝させていただきました。

 若獅子神社は、皆さんご存知の通り、戦前の陸軍少年戦車兵学校跡地に建立された神社です。大戦中に戦没された少年戦車兵と同校教職員の皆さんを祭神として合祀しています。

 若獅子神社の正面です。鳥居の向こう側に見える白塔は、神社建立前に有志によって、戦没者の御霊を慰め、悼むために建てられた「若獅子の塔」です。

 こちらは祭神のお名前が記された石碑です。冒頭に刻印された岡田資将軍は、短い間でしたが陸軍戦車学校の校長を務められました。終戦時は東海軍司令官として中部地方の防衛に尽力され、映画『明日への遺言』でも知られるように、その職責ゆえに戦後の戦犯裁判で刑死されました。

 神社の入口には、当時の門柱が両脇に残されています。この門柱を出た卒業生六百余名が戦争で亡くなっているそうです。現在の神社がある場所は、旧少年戦車兵学校の敷地約30万坪という広大な土地のなかのほんの一部です。正門は別の場所でしたので、門柱はおそらく移設したのでしょう。「陸軍少年戦車兵学校」の銅板は、戦後に再現されたものらしいです。

 若獅子神社に奉納されている陸軍の主力戦車九七式中戦車(チハ車)。激戦地であるサイパン島から帰還した戦車第九連隊所属の車両です。この車両は、元戦車兵でサイパン島の玉砕を生きのびて復員された下田四郎氏が、戦後に資財を投げうって尽力し、サイパン島から帰還させた2両のうちの1両です。もう1両は、東京九段の靖国神社に奉納され、遊就館で展示されています。

 下田氏の著書『サイパン戦車戦』(旧版のタイトルは『慟哭のキャタピラ』)には、当時の戦車第九連隊壊滅時の様子が克明に記されています。いまなお弾痕が生々しいこの戦車を目の前にすると、胸が締めつけられるような思いを感じます。

 国内に現存するチハ車は、下田氏が帰還させた2両と、近年に千葉県で発掘され、栃木の那須にある私設博物館に収蔵された残骸をあわせた3両のみだと思われます。

 若獅子神社のチハは、帰還後、二度にわたる補修と屋根の整備が浄財によってまかなわれていますが、長年の風雨によって、転輪部などは朽ちてボロボロになっています。しかし、私はこれで良いと思います。下田氏は著書のなかで“戦車兵にとって戦車は棺桶”ということを述べられています。実際にサイパンの浜辺に埋没処理されたチハを掘り出した際に、車内にあった白砂を持ち帰って、遺骨がわりに遺族の皆さんにお配りしたということです。このように朽ちて落ちた錆の破片もきれいに台座の上に安置されているのは、そのような経緯があってのことなのでしょう。

私財を投げ売ってサイパンから戦車を持ち帰った下田氏の活動を紹介した書です。関心のある方は『サイパン戦車戦』と合わせてお読みください。

若獅子神社に祭神として祀られている岡田資将軍の戦犯裁判を描いた映画です。Amazon プライムビデオでご覧いただけます。

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