30口径機関銃弾薬梱包のリベンジ(蘊蓄編)

かれこれ10年くらい費やして、ようやく納得できる出来になりました。

 30口径機関銃の再現がしたくて、最初に弾薬梱包の再現にトライしたのは、もう10年くらい前です(→30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #2)。その2年後に、自身にとって初のイベント参加といえる2017年のMVGに参加するために頑張って作れた!と思いました。その時は。(→30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #3

 MVG2017で先任(@xxkfirxx)からもらったコーラにご満悦の息子です(今はもう自分より高身長のお兄さんになり、趣味はギターとスノボーです)。このときはリビング・ヒストリー・エリアの一角に機関銃と弾薬梱包で展示していました。いま振り返ると、いろんな意味でダメなんですが…。来場者には好評でした。

 当時再現した梱包です。満足度の高いレプリカができたと感じていました。しかし、まだまだ不勉強でした。結果として大きく間違ってはいなかったんですが、背景を理解しているのとそうでないとでは、満足度も違うわけです。

 おさらいです。30口径機関銃用の弾薬は、当初は小銃用弾薬と同じ木箱で戦地に送られていました。しかし、1942年に使い捨ての金属缶、俗にいう“アモカン”(Ammunition box M1)が採用されてからは、4缶を1つの木枠で梱包した方式(”Wirebound box”)に変更されました。この方式が、いかに画期的だったかは、こちらの記事「弾薬補給のイノベーション“Ammunition box M1”」でご紹介した通りです。

 戦後の7.62ミリ弾の弾薬梱包です。WW2当時と同じ構造で現代まで踏襲されていることを見ても、いかに合理的であったかがわかります。

 上が採用当初の1942年のイラスト、下が1945年の教範に掲載のイラストです。採用当初は天板が2枚の板で隙間があります。側面は四隅の支持架はありますが、補強で左右2本の補助支持架はありません。1945年になると、基本的な構造は同じですが、天板に隙間がなく、密閉され、側面には補強の補助支持架が左右に追加されています。また、偽装塗色がされています(→偽装塗色については、こちらの記事「お歯黒ステインでいいみたい。」をご参照ください)。

 42年と45年の構造の違いは、おそらく設計重量にもとづく構造が戦地の実情に合わず不適切で、それによる事故を防ぐためにあったと思われます。

 アメリカ軍では、強度の異なる材種をランク分けしたうえで、梱包重量に応じて、それぞれの材を用いたときの板厚と補強方法を詳細に定めています。今回の30口径機関銃弾薬梱包に関して言えば、250発詰めアモカン4缶の実重量は70.64ポンドです。現存する梱包を見ると、おおよそ総重量77~78ポンドの表記を見ることができます。規定では、もっともエコノミーなグループ1の木材をつかう場合でも、85ポンドまでは板厚3.6~6.35ミリで補助支持架なしです。

 1943年には、これまでの通常弾8+曳光弾2の配分が、より重い徹甲弾8+曳光弾2に変更されました。この変更に伴う内容物の重量変更は2.5ポンド増です。また、戦時生産と偽装塗色で生乾きの木材をつかうようになり、梱包総重量の増加につながったと思われます。当初の設計重量から、梱包規定の上限に近くなったはずです。

 そのうえで、当初のアモカンが露出する梱包が不適切だったことが明らかになったのではないかと思われます。戦地における荷下ろしはラフに扱われますので(ぶん投げる)、木枠が砕けたり、天板の隙間でアモカンが岩にぶつかるなどして変形し、蓋が開かなくなるなどの事故が起きたのではないかと思われます。当初の設計重量の上限に近い無理のある仕様(非密閉)から、補助支持架を追加して、しっかりとした密閉梱包に見直すことが意図されたのではないかと考えます。

 振り返りの蘊蓄が長くなりました。実際の作業は後編で。

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