60mm迫撃砲分隊の再現

2022年3月中旬の連休で、BCo関東在住メンバーを中心に、山梨県北杜市にあるスティルフォレストさんのフィールドをおかりして、掩体構築を中心とした訓練をおこないました。被服装備の想定時期は1944年初頭、編制は歩兵小銃中隊火器小隊60mm迫撃砲班です。

BCoでは、これまでにも何回か60mm迫撃砲の再現をおこなっていますが、今回は訓練の主目的である掩体構築に合致するように、状況の付与は防御態勢における前哨及び砲の展開としました。参加メンバーは7名。指揮班2名・砲分隊5名を定数で編成することができました。指揮班2名が前哨における監視警戒にあたり、その後方に砲分隊が展開して射撃を実施する想定です。

編成完了した砲分隊です。右から分隊長・砲手・助手・弾薬手・弾薬手です。被服装備と携行区分は1942年規定にもとづいています。被服ならびに装備品については、砲手以外に重量物運搬用の肩パッドがないほかは、ほぼ正確な再現です。

迫撃砲分隊の個人装具については、こちらの記事「WWII 米軍 60mm迫撃砲分隊の携行品」もあわせてご覧ください。

1942年の規定では、分隊長を含む砲手以外の4名がベスト状の弾薬運搬袋(アムニッションバッグ)を着用します。アムニッションバッグは、60mm砲弾を前後のポケットに各6発ずつ、計12発収納して携行するためのもので、個人の被服装備を身に付けた完全軍装の上から着用します。定数分の砲弾を入れた場合の重量はおよそ16kgになります。ダミーで近い重量のものを用意し、各メンバーに体感してもらいました。

初日は宿営地の設置後に、前哨と砲の展開地を決めて、掩体構築を実施しました。フィールドから見える道路の十字路に仮想敵が進出することを想定し、前哨と砲の位置を決めています。前哨は監視対象である十字路を見通せてかつ隠蔽可能な森の斜面に設置し、砲は樹間に上空が拓けて射撃可能な場所を選定しています。

フィールドオーナーのご厚意により掩体構築場所を自由に選定させていただけたことで、理想的な場所に展開ができました。このイラストは国土地理院の地形図に現地で構築した掩体の位置を示したものです。2名の小銃掩体を利用した前哨からおよそ約40m後方に砲分隊が3カ所の掩体に分散配置しています。

前哨です。指揮班の2名が掩体から監視と射撃実施時の観測を担います。

前哨から砲分隊へは有線電話機を架設しました。無電池式のサウンドパワーフォン(糸電話と同じ原理)で、80年前の製造なのによく聞こえます。

野戦電話の構築については、こちらの記事「2年ぶりのイベント参加です。」もあわせてご覧ください。

砲分隊は、分隊長、砲側(砲手助手)、弾薬豪(弾薬手2名)の3カ所で、約15~20メートルの間隔をあけて掩体を構築しています。発声ができなくてもハンドサインで指示が出せるように、各掩体をそれぞれ目視可能な三角線上に構築しています。

砲側の掩体は、砲の左右に砲手と助手が一人用のフォックスフォールを掘り、両穴の間の地上に砲を設置して射撃する方式です。砲の隠蔽はできませんが、掩体の構築は早い利点があります。砲に対して操作する目線が低くなるため、照準には伏せ撃ち用の延伸具をつかいます。

掩体構築は昼過ぎから再現レーションによる食事休憩を挟んで夕方まで実施しました。今回は約4時間で概成にちかい状態にもっていくことができました。教範にある「標準」所要時間は1.5時間/人ですが、これはおそらく最短時間の表示です。前日の降雨によって固く粘土化し、木根の処理などの悪条件のなか、掩体構築が初めてのメンバーも含む成績なので悪くないと考えます。

今回の訓練でつかった10in1レーションの再現については、こちらの記事「DINNERは夕食じゃないんやで。」をあわせてご覧ください。

夕食は当時の日系兵士が戦地で調理したと伝えられる「チキンヘカ」の再現です。鶏肉と野菜を砂糖を加えたブイヨンスープで煮込んだものを白米とともに食します。

翌朝は再現レーションによる朝食を摂ったあとに、前日に構築した掩体に砲を展開。BCoの演習では実際の動作を撮影しますが、今回は時間の制約もあって、再現写真の撮影(コスプレみたい)になりました。それでも射距離に対する砲弾の増分減数など、「情景」としての不正確さは排除できていると思います。

掩体を埋め戻したあとは、宿営地へ戻り武器整備を実施しました。最初に部隊装備品の迫撃砲と電話機を整備し、引き続き個人装備品である小銃等の分解清掃を実施、訓練活動を終了しました。

今回の訓練では、時間の制約と訓練の主目的が掩体構築であったことから、砲の正確な射向付与ができませんでした。次の機会に実施したいと思います。

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