WWII 米軍 60mm迫撃砲分隊の携行品

WWII米軍ライフル中隊火器小隊の60mm迫撃砲分隊は、分隊長1、砲手1、助手1、弾薬手2の5名の編成。それぞれの携行品を再現してみました。想定年代は1943~1945年。一部、推測もありますのでその点ご了承ください。

本稿の初回公開時に不足していた装備品を追加して写真を再撮影したほか、土工具の携行区分および個人の自衛兵器の弾薬定数について追記しました。土工具の携行区分は1940年の規定に、自衛兵器の弾薬定数は1943-44年の規定に依拠しています。(2023年9月6日)

 最初は分隊長です。個人装具(鉄帽・背嚢・弾帯・繃帯嚢・水筒・防毒面嚢)を除く被服装備では、肩当てと弾薬嚢(左上)を着用します。迫撃砲の運用に必要な装具として、主として照準および観測に必要なものを携行します。双眼鏡、照準器および照準器延伸具、方位磁石、射表(紙製)、懐中電灯、清掃棒です。土工具は手斧です。これは射界を拓くためです。武装はM1ライフル(ガーランド)及び銃剣です。小銃弾薬の携行定数は48発です。規定では分隊長も弾薬嚢に砲弾(M49A2, HE)12発を携行するとしています。規定通りならば分隊長が最も携行重量が大きいようです。

 次は射手(砲手)です。個人装具を除く被服装備では肩当てのみを着用します。弾薬嚢は着用しません。砲は砲身・脚・床板と3点を組み合わせたままで、キャリングストラップで肩掛け携行します。3点あわせて迫撃砲は約19kgになります。耐熱手袋を携行します。射撃直後で陣地変換が必要なときに加熱した砲身に触れるときにつかいます。土工具は鶴嘴です。砲の設置場所を整地するためです。武装は45口径自動拳銃(M1911A1 ガバメント)及び銃剣です。拳銃弾薬の定数は20発です。

 助手です。個人装具を除く被服装備では肩当てと弾薬嚢(左上)を着用します。規定では分隊で携行すべき予備部品および整備工具類(右上)の携行区分が明確に指定されていません。助手が携行したものとしています。土工具は円匙です。砲の設置場所を整地したり、塹壕を掘るためにつかいます。武装は射手と同じく45口径自動拳銃と銃剣です。拳銃弾薬の定数は20発です。

 弾薬手です。個人装具を除く被服装備では、肩当てと弾薬嚢(左上)を着用します。土工具は円匙もしくは鶴嘴です。塹壕を掘るためにつかいます。武装はM1カーバインおよび銃剣です。カーバイン弾薬の定数は60発(弾倉4)です。

WWII米軍歩兵は個人装具を除く1名の携行重量を約20kgを目安にしていたようです。迫撃砲は約19kg、射手以外の分隊員が携行する砲弾は各自12発ずつ約18kgです。

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