台湾の国軍歴史文物館レポートその3です(年賀状のことは忘れたいです…)。今回は刀剣類と重火器をご紹介したいと思います。
刀剣類から。トップの写真の青竜刀は、盧溝橋事件に関わった第29軍第37師の吉星文の所持品だそうです。上は蒋介石からの任免状。民国23年=1934年ですから、熱河事件後の頃ですね。日本刀に比べると、とても頑丈そうです。
軍官学校(士官学校)の卒業生に与えられた短剣です。儀礼刀に該当するのでしょうか。一番手前が中央陸軍軍官特別訓練班の短剣、中央が黄埔軍官学校卒業生に蒋介石(初代校長)から授与された短剣、一番奥がちょっと読みづらいですが、おそらく空軍将校の短剣です。
「降刀」と説明にあるように、輝かしい国軍の歴史の証として、この博物館として一番の逸品でしょうね。終戦時に支那派遣軍司令官だった岡村大将が佩用していた刀だそうです。軍刀ではなく、指揮刀ですね。それにしても鞘の装飾がすごいですね…。
お次は重火器です。この写真にあるように展示室の中央にジオラマ風な展示がされていました。手前の「2」のプレートが付いているのは“スーパーバズーカ”の愛称があるM20ロケットランチャー。その奥は口径57mmの無反動砲M18でしょうかね。トライポッド(三脚架)は30口径水冷式機関銃M1917と同じものですね。
M20バズーカだけを何枚も撮影していましたが、その理由は、ちょうどこの頃、自分のコレクションとして手元にあったからです。本体はアルミ製で非常に軽量で、二分割できるので持ち運びもラク。初めて手にしたときに、ずいぶんと優れた兵器だと感心した記憶があります。ただ、89mmと大口径なので、ロケット弾の取り扱いは大変でしょうね。
迫撃砲です。手前の3門は60mm迫撃砲M2ですね。3門あるのは、台湾も米軍と同じく迫撃砲チームが3門体制だからでしょうか?その後ろは、81mm迫撃砲M1。その奥は、おそらく120mm迫撃砲かと思われます。
60mm迫撃砲M2を間近に見てみますと、台湾で製造したものなのでしょう、バイポッド(砲架)のハンドル形状が米軍M5と少し違うことがわかります。個人宅で気兼ねなくさわって遊べる重火器としては、この60mm迫撃砲が限界でしょうね。81mmになると、重くて大きくて大変です(でも欲しいのが人情…)。
日本の九二式重機関銃です。接収後に国共内戦でも活躍したのでしょう。展示品は、銃身・銃架ともに状態がとても良いですね。
なぜかこちらだけガラスケースに入っていました。火焔放射器のハンドル。米軍のM2ですね。第二次大戦当時に使用されたものだそうです。