60mm迫撃砲弾のレストア。しばらくブログでは紹介してませんでしたが、昨年(2023年)のVショー展示に向けて一気に進めていました。
1945年時点での60mm迫撃砲弾のラインアップです。上から3つめの白燐弾(M302、44年までは仮正式のT6として供給)以外の4種類を再生することができました。
再生した60mm迫撃砲弾のラインナップです。左から初期型の榴弾(M49A2)、戦時中に生産されたタイプの榴弾(M49A2)、演習弾(M50A2)、訓練弾(M69)、照明弾(M83A1)です。
再生した榴弾(M49A2)です。信管は戦時中に採用されたベークライト製のM52B1着発信管、尾翼にはダミーの推進薬(紙製のカートリッジ)と外側にビニール梱包の増分(装薬)を再現しています。
こちらは同じく再生した照明弾(M83A1)です。照明弾は比較的破損が少なく、リペイントのみで再生できることが多いかと思います。
この写真はフォロワーさんに撮影いただいた当日の展示の様子です(自分では写真を1枚も撮らなかったのでお借りしました)。再生した砲弾がいくつあるのか、いつも作業中で所在がバラバラなため、自分でも把握できていません。この写真を見ると、榴弾10発、照明弾6発、演習弾と訓練弾が1発、ほかにセクションモデルといったところですね。こうやって写真に残していただけるのはありがたいです。
再生に着手した6年前に撮影した写真です(→当時の記事はこちら)。ベースとなるのは、過去に自衛隊や在日米軍から廃棄された使用済みの廃品です。この写真には、第二次世界大戦中の1943年頃から70年代までの様々な時代のものが混じっていますが、幸いなことに60ミリ迫撃砲弾は戦後に生産された個体であっても外観の形状は第二次世界大戦当時からほとんど変わりません。このときはどうしたらきれいになるか、特に榴弾の信管はどう再現できるのか見当もつきませんでしたが、続けているとなんとかなるもんです。以下では再生の手順をご紹介します。
榴弾の廃品には、このような信管の残骸がついたままのことが多く、まずはそれを取り外す作業からスタートします。60ミリ迫撃砲弾は完成弾薬として出荷されるため、信管と弾殻はセメントで密閉されています。
左の着発信管のネジ部に赤茶色に見えるのがセメントです。油を挿したぐらいではセメントによる固着を解除できませんので、たいていはバーナーで炙って信管の穴に金属棒を入れてトンカンやって外していきます。信管は右ねじ(時計回り)なので叩く方向は半時計回りです。
火炙りで外した信管の残骸です。信管の本体と撃針は融点が高いアルミ製ですが、ヘッドは融点が低い亜鉛合金製なので、作業の過程でこのように溶けてしまいます。着発信管はレプリカで再現しますから、構わずに残骸を弾殻から外すことに注力します。
これは別の個体を作業したときの写真です。尾翼も同様に弾殻から外し、尾栓(雷管)も外します。尾栓を外さないとダミーの推進薬(カートリッジ)を入れられないからです。尾栓も信管と同様にセメントで接着されているため、炙ってセメントを破壊して外していきます。
尾栓は右ねじ(時計回り)のツーホールナットなので工具が必要ですが、部隊用の分解工具は存在しません。もともと工場での填薬時に完成弾薬としてセメント密閉してしまい、出荷後の分解や組み立てが考慮されていないからです。自分はこんな感じのL字金具にネジ留めした簡易なものをつかっています。
左の2発は信管と尾翼を外すことができたのでフル再生可能な個体になります。右の2発は尾翼と信管が外れないので、また時間をおいて外す作業にトライします。尾翼が外れた2発は、元の塗膜を落とし、必要に応じてサビ取りとパテ修復をおこなったうえで塗装します。
下地にODを塗ったあとに、スタンプを再現します。本来のマーキングは、凸型のゴム板の上を転がして転写しますが、ゴム版は費用がかかるので、カッティングプロッタで切り出したマーキングシートを貼って塗色で再現します。マスキングシートは弾殻の曲率にあわせて、予めデータ上で楕円に変形させた文字にして切り出すことで、違和感のないスタンプ風のマーキングを再現することができます。
弾殻の再生が終わったらレプリカの信管を取り付けます。上が着発信管の実物、下が再現したレプリカです。戦時の資源節約で採用されたベークライト製のM52B1信管を再現しています(→信管の再現についてはこちらの記事)。信管本体はブラックレジン、撃針はホワイトメタルの鋳造、真鍮部品も鋳造(外注)です。内部機構は再現していませんが、バネで撃針が上下するギミックを仕込んでいます。
再塗装済みの弾殻にレプリカの信管を取り付けた状態です。廃品だった状態から見違えるまでになりましたが、まだ完成ではありません。
廃品から取り出した推進薬(カートリッジ)の燃えかす(写真上)と再現したダミー(写真下)です。推進薬は尾翼の中に入ります。いちばん上に見える尾翼に挟まった黄色のパッケージは、再現したダミーの増分(装薬)です。
尾栓(雷管)で点火した推進薬は爆発して推進力を出すとともに、尾翼の外側に取り付けられた増分を延焼させて最大2km近い飛翔力を得ます。実物の燃えかすに空いた穴は点火時に尾翼の穴に発火した痕です。
尾翼の筒内にダミーの推進薬(カートリッジ)を入れて尾栓を閉めて、外側に増分(装薬)をつけたら完成になります。左は増分バンドがない初期の取り付け方、右は増分バンドをつかった正規の取り付け方です。増分バンドの余剰品が少ないので、右の形での再現は数が限られてしまいます。
射撃時には射距離に応じて、このように増分(装薬)の数を調節します。射距離に応じた仰角と増分数は謝表に記載があります。増分なしでの最大射距離は325ヤード(約300メートル)です。ここまでの再現で、ようやくリエナクトメントが可能になります。
タイトルの【まだ足りない編】とあるのには2つ意味があります。
1つめは、迫撃砲分隊の弾薬定数に及ばないことです。1940年編制では榴弾36発、1942年改編で榴弾48発が分隊の携行弾薬定数です。現時点で未再生の個体を含めても榴弾の手持ちは12発くらいなのでまったく足りません。再生可能な廃品の入手が難しいという点もありますが、なにより今回ご紹介したように、廃品の再生作業には個体毎にかなり手間がかかります。リエナクトメントでの再現のために定数分を揃えるには、廃品の再生ではなく、新規に鉄材から削り出しで製作する必要があるでしょう。
2点目は部品です。信管のセーフティワイヤ、尾翼の尾栓(雷管)、増分バンドを新たにつくる必要があります。
現時点で信管のセーフティワイヤは針金で代用しているので、これを正規のバネにする必要があります。アルミ信管のワイヤは時計廻りですが、ベークライト製のM52B1信管は強度の問題で逆の反時計廻りに変更されています。戦後品を流用できないため、新規に製作する必要があります。
尾栓(雷管)も、実はこのままではよくありません。戦時中の生産品はスチール製だったからです。スチールの削り出しで新規製作する予定です。
また、増分バンドは、余剰品自体がほとんど存在しないため、新規製作が必要です。