弾薬補給のイノベーション“Ammunition box M1”

1942年後半に機関銃向けに採用された金属缶方式は、従来の弾薬補給が抱えていた課題の多くを解決しました。まさにイノベーションといえます。事実、この補給方式は現代にいたるまで踏襲されています。

 米軍歩兵部隊での30口径機関銃の弾薬補給は、長らく小銃弾薬と共通の木箱(”Packing box M1917″)によって行われてきました。

 左のイラストがその木箱です。紙製のカートンに個別包装された計1500発の30口径弾(30-06弾)が梱包されていました。この木箱を開梱して取り出した弾を、右のイラストの装弾器を使用して機関銃用の弾帯にします。キャンバス製のベルトに弾を押し込んで、250発の弾帯をつくります。 250発の弾帯は、属品としての木製弾薬箱(”Ammunition Chest”)に収納されます。

 しかし、米国が第二次世界大戦へ本格参戦すると、この従来の方式は改善が必要となりました。戦地で機関銃の弾帯をつくるよりも工場出荷段階で弾帯状にしたほうが効率が良いからです。そこで当初は、カートンにかわって250発の弾帯を梱包した木箱が出荷されました。しかし、まもなく金属缶(”Ammunition box M1″)に移行しました。

 技術教範(”TM 9-1990″)に掲載された金属缶とその梱包です。1缶に250発の弾帯を収納した金属缶4缶を木枠で梱包した1000発で弾薬補給ができる方式です。金属缶は取っ手のついた蓋がラッチで開閉できる仕組みで、ガスケットにより密封されていたため、防水性能がありました。

以前に金属缶の木枠梱包を再現しています。記事はこちら。
30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #3

 この金属缶方式は、梱包を解いて金属缶を手にそのまま作戦に搬出でき、蓋を開けてすぐに機関銃へ装弾が可能な点で非常に優れた方式でした。前線において装弾器による弾帯づくりと、弾薬箱への弾の入れ替えという2つの作業を省略したうえ、軽量化と防水も実現したのです。金属缶”Ammunition box M1″の登場は、まさにイノベーションといえます。事実、この補給方式は現代にいたるまで踏襲されています。

戦後の新型金属缶M19A1の梱包。第二次大戦当時のM1で採用された方式を踏襲している。

 金属缶が採用された正確な時期はわかりませんが、1942年5月発行の技術教範「小火器弾薬」(”TM 9-1990″)の本冊及び同年9月発行の追補版(”C1″)には記載がないものの、同年11月に編纂された軍需学校教範(”OS 9-18″)には、従来の木箱にかわり金属缶が開発された旨の記載があることから、1942年後半には採用され、1943年以降には戦地へ出荷されていたと思われます。そして、金属缶への移行は、スムーズに行われたと思われます。

金属缶(左手前)と従来の木製弾薬箱(右奥)。大きさは一回り違い、重さも木製弾薬箱が約2.3kgであるのに対して金属缶は約1.5kgと軽量です。

 これは、戦地の兵隊の身になって考えてみるとわかりやすいと思います。仮にあなたが機関銃チームの一員であったとしたら、木製で重く嵩張り、弾帯が1本しか入らない木製弾薬箱はすぐに武器係に返納して、軽く防水性に優れた金属缶を携行するでしょう。金属缶は使い捨て”expendable”と規定されていますが、棄てずに弾薬箱として再利用することも可能です。そのうえ、員数管理が不要であることは、戦地の兵士には歓迎されたはずです。弾薬箱以外の用途――壕の雨水出しや簡易便器、調理器具など――に使うことも可能だからです。第二次大戦をテーマにした映画やドラマでは、兵士らが金属缶を調理器具としてつかうシーンが見られますが、これはフィクションなどではなく、員数管理がされない使い捨て金属缶ならではの用途と言えます。

 金属缶への移行がスムーズだったと思われる根拠は教範にも見られます。1943年6月発行の水冷式機関銃M1917の備品カタログでは、従来の木製弾薬箱”Chest, Ammunition, 49-1-84″は削除され、かわりに金属缶”Ammunition box M1″が備品として掲載されています。1943年半ば以降の歩兵用機関銃チームを再現するならば、金属缶を装備するのが良いでしょう。