カートリッジ・ベルトのポケットすべてに弾を入れてはいかんのや。

弾帯にポケットがあれば、そこに弾が入ると思うのは人情というもの。

 アモカンのマーキングに続き、過去の不勉強を訂正するのが今回の記事の主旨です。

 需品部(QMC)の備品カタログに掲載されているイラストです。WW2米軍の小銃用弾帯であるカートリッジ・ベルト(BELT, CATRIDGES, CAL. .30, M-1923)が紹介されています。上の“DISMOUNTED”とあるのが徒歩行軍の歩兵用、“MOUNTED”とあるのが騎兵用です。この弾帯が採用されたときのサービス・ライフルは、手動装填式のM1903ライフルですが、のちに自動装填式のM1ライフルが採用されたあとも、この弾帯はそのまま使用が継続され、1945年の戦争終結までつかわれました。

 3年前に、M1ライフル用の弾帯と布製の簡易弾帯(バンダリア)に、金属製で8発用の挿弾子(クリップ)とダミーカートをいっぱいにつめたときのツイートです。嬉しそうですね。無知ってこわいですね。

 ツイートしたときにつかった弾帯は、あまり再現度の高くないレプリカでしたが、その後、実物を入手しました。自分は被服装備に関心が薄く、目が節穴なので、実物ならばイベントで一緒に活動する仲間に迷惑をかけないだろうと考えたからです。なお、今は再現度の高い良質のレプリカをつかうべきという考えです。

 実物は、ものによって一世紀近い年月が経っていますから、経年による劣化を免れません。筆者が所有する弾帯も、留め金が外れたり(写真左)、ベルトに破れが生じたりしています(写真右)。そもそも古くて見た目もよくありませんし、レプリカに更新しないといけないですね。

 本題にもどります。

 弾帯には、ポケットが10個ついています。弾帯ゆえに、ポケットの数だけ、弾薬が入ると思い込んでしまいますが、実際にはそうではありません。

 筆者が所蔵するフォートベニング歩兵学校の資料には、歩兵連隊が装備する火器1丁あたりの弾薬定数が掲載されています。下記はその弾薬定数表から、ライフル中隊小銃小隊が装備する火器について抜き出したものです。

  • Carbine, cal. .30, M1 個人携行数【60】、段列携行数【0】、合計【60】
  • Rifle, cal. .30, M1 個人携行数【48】、段列携行数【96】、合計【144】
  • Rifle, cal. .30, M1903A4 個人携行数【40】、段列携行数【120】、合計【160】
  • Rifle, Auto, cal. .30, M1918A2 (BAR) チーム携行数【380】、段列携行数【360】、合計【740】

 ここにいう個人携行数とは、行軍時に兵士が携行する弾数になります。攻撃時には、必要に応じて段列から追加の弾薬を受領します。段列携行数とは、この火器1丁あたり追加で支給可能な予備弾薬を示します。簡易弾帯(バンダリア)や紙箱で輸送します。

 M1ライフルの弾薬定数をみてみましょう。個人携行数はわずかに48発です。M1ライフルは、8発入りの挿弾子(クリップ)を装填につかいますので、6装填分ということになります。弾帯のポケットは、1ポケットに1クリップが入りますから、ベルトのポケット10個のうち、6つを弾薬入れとしてつかうことになります。定数上は、すべてのポケットに弾薬を入れないわけです。

photo by 太郎丸

 徒歩行軍の装備を身に付けた様子です。実際に規定の装備を身に付けてみると、弾帯で後ろ側に位置するポケットは、ほかの装備品の干渉もあり、自分の手でポケットから弾薬を取り出すことは困難です。弾薬を入れるポケットは、取り出しやすい前側の左右6つのポケットになるでしょう。なお、簡易弾帯(バンダリア)は装備の上からたすき掛けにしますから、出し入れの不便はありません。

 先ほどご紹介したとおり、もともとこの弾帯は、M1903ライフル用として採用されています。M1903ライフルは、弾薬を5発の挿弾子で装填します。弾帯のポケットは、5発クリップを2つ入れるようにつくられています。フラップが付いているのは、1つの挿弾子を取り出すときに、もう1つの挿弾子が一緒に出てきて、取り落とさないようにするためです。

 先ほどの弾薬定数では、M1903A4(狙撃専用銃)は個人携行数が40発となっています。これは5発クリップで8回の装填分になります。弾帯では4つのポケットをつかう計算になります。M1ライフルと同じように、前側の左右のポケットをつかうと考えてよいと思います。

 弾帯で弾薬が入るポケットは、M1ライフルでは6ポケットだけです。M1903A4ライフルではさらに少なく4ポケットだけです。それでは、弾薬が入らない残りのポケットには、なにが入るのでしょうか?

 軍需部(ORD)が発行する備品カタログリストに掲載されているM1ライフルの属品です。弾薬の装填につかう挿弾子や負い革(スリング)を除くと、基本的には小銃の手入れにつかう物品となります。なお、ここには消耗品は掲載されていません。

 装薬銃は、射撃後に銃控の清掃が不可欠です。火薬が燃焼した際に出るガスが金属製の銃身を腐食させるからです。また、雨滴による腐食や、砂塵などの異物による動作不良を防ぐためにも、頻繁な手入れが必要です。兵士にとって銃の手入れは、兵士である限り常につきまとう面倒な仕事であり、手入れにつかう道具も常に携行していなければならない装備品でした。

 部隊管理品と考えられる工具類を除いたうえで、小銃野戦教範(FM 23-5)及び小火器整備技術公報(TB 9-2835-9)に記載の内容から判断すると、兵士個人が携行する小銃手入れ具の属品と用品(消耗品を含む)は、以下のようなものになると考えられます。

  1. BRUSH、THONG、CASE #清掃具 ※グリースを含む。小銃の銃床内に収納。
  2. TOOL #多機能工具 ※薬莢抜きを含む。小銃の銃床内に収納。
  3. SPARE PARTS #予備部品 ※小物入れに収納。
  4. BORE CLEANER #洗浄液
  5. LUBRICATING OIL #潤滑油
  6. DRY PATCHES #拭き布 ※防水紙封筒に収納。

 M1ライフルは、床尾から銃床内に清掃具と多機能工具を収納できます。上記のリストで【1】と【2】にあたるものです。それらを除いた物品と用品をならべたものがこちらの写真になります。右から順に、予備部品を入れる小物入れ、潤滑油(油缶)、洗浄液(使い捨て缶)、拭き布です。ちょうど、弾薬が入らない4つのポケットに収納できます。弾帯でこれらの手入れ具を携行したわけです。

 筆者が所有する弾帯は、右側の一番後ろに位置するポケットが黒ずんでいます。洗浄液を入れていたのかもしれません。

 軍曹(Msg. Merwin J. Toome)が所有するコレクションで再現してくれました。簡易弾帯2本が段列から支給され、弾薬定数の上限である144発の小銃弾を携行する攻撃時の装備です。当時の小銃兵が携行する武器用品が揃っています。

 弾帯には、さきほどご紹介した内容のものが、側背側の4つのポケットに収まります。左側から順に、拭き布、洗浄液、潤滑油(使い捨て缶)、予備部品を入れる小物入れです。なお、簡易弾帯の左側にあるさく杖(クリーニング・ロッド)は、すべての兵士が個人携行するのではなく、分隊で装備していたかもしれません。

 本稿では、フォートベニング歩兵学校の資料に掲載されている弾薬定数をもとに、小銃用弾帯のポケットに入る弾薬の数と手入れ具について検討しました。手入れ具としてご紹介したものは、現時点では、あくまでも推測になります。今後、資料をもとにアップデートできればと思います。もしご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただけますと幸いです。

アモカンのマーキングはいらんのや。

金属缶の表面にある黄色のマーキング。缶に詰められた弾薬の種類とロットナンバーです。WWIIから戦後まで黄色のスタンプです。でも、再現する必要はないです。

 対テロ戦争が始まる前は、軍からの放出品も緩やかで、弾薬種別のマーキングなどは残ったままでした。近年はすべて塗りつぶされて「EMPTY」と書かれているようです。事故防止の目的もあるのでしょう。このマーキングは、第二次世界大戦で登場し、戦後もずっと継承されています。

 M1アモカン(Ammunition Box M1)のスタンプは、三行にわたり記載されていることが一般的です。最初に「弾数」「口径」、一段改行して「装填種別」「弾薬種別」、一段改行して「ロットナンバー」です。「弾数」と「口径」は、ほとんどの場合「250 CAL. .30」の表記になります。これはM1アモカンのほとんどが30口径機関銃の弾薬箱として、250発のキャンバスベルトが入った状態で工場から出荷されたためです。

 

 不勉強だった4年ほど前に、黄色のマーキングを再現したときの様子です。カッティング・プロッターでつくったマスキングシートを貼り、その上からペンキでマーキングを再現しました。たしか、状態のよい缶を選んだと思います。無知って怖いですね。

 1942年発行の小火器弾薬教範(TM 9-1990)に掲載されているM1アモカンのイラストです。M1アモカンが登場して間もないころのイラストです。マーキング…ないですね。初期はなかったんですかね。戦争後期ですかね。当時の戦場写真を見てみます。

 1944年12月、ドイツのラインランドに攻め込んだ米軍の重機関銃チームです。射撃中です。曳火弾がビームのように写っています。たくさんのM1アモカンが散乱しています。マーキング…まだ?ないみたいですね。

 前の写真から三ヶ月後の1945年2月に撮影された写真です。硫黄島における米海兵隊の重機関銃チームです。すごい量の撃ち殻です。アモカンもたくさん転がっています。マーキングは…やっぱりなさそうですね。

 なぜ、当時の記録写真で、アモカンのマーキングが撮影されていないかの理由は単純です。アモカンへのマーキングが指定されるのは、だいぶ遅かったからです。

 1943年1月に、小火器弾薬技術教範の補遺C2が発行されています。補遺とは、本冊の再発行までの間に告知すべき追加訂正事項を記した小冊子です。ここでM1アモカンは、50口径用のM2アモカンとともに、“Expendable steel box”、使い捨て金属缶として定義されています。そして、赤の下線部にあるように、明確にマーキングは、“なし”とあります。マーキングは、アモカンを梱包する木枠(Wire-bound crate)に記して出荷するとあります。

M1アモカンは4缶を梱包した1000発の木製クレートで戦地へ出荷されました。木製クレートの再現レポートはこちらをご覧ください。「30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #3」

 それでは、アモカンへのマーキングはいつからはじまったのでしょうか?正確な日時は不明ですが、1945年1月発行の弾薬技術教範(TM 9-1900)に、アモカンへのマーキング指定があります。1943年初頭から1944年末までの二年間の間に、アモカンへのマーキングの扱いが変更されたことは確かです。この点、教範の発行リストによると、小火器弾薬技術教範の補遺は、1943年5月に発行されたC3までで、この補遺にはアモカンのマーキング変更は含まれていません。ゆえに、教範でアモカンへのマーキングが指定されたのは、1945年1月発行の弾薬技術教範からとみてよいと思います。

 弾薬は、民間業者から納入された金属缶に、本土にある各軍需部(Ordnance)が弾薬を詰めて、木枠で梱包して戦地へ出荷します。アモカンへのマーキングは、軍需総監部で決定後、すぐに対応されたと思われますが、すでにマーキングなしで出荷された在庫が戦地にはありますから、実際にマーキングのあるアモカンが兵士の手にわたるまでには、それなりのタイムラグがあったと思われます。

 第二次世界大戦の再現であれば、アモカンへのマーキングは、“なし”がよいと思います。

 なお、当初、アモカンへのマーキング指定がなかった理由ですが、防諜目的ではないかと思います。使い捨てが前提だからです。しかし、戦地の実態にあわないことから、マーキングがされることになったのであろうと思います。アモカンは梱包を解いてしまえば、4缶がバラバラに搬出され、外観からは中身がなにか判別できません。アモカンはODの偽装塗色がされていますから、暗闇ではなおさら確認が困難です。誤って曳火弾をつかい自軍の位置を暴露してしまうなど、マーキングがないことが原因で事故が発生した可能性もあります。

 かつて再現したマーキングです。左はペンキ、右はカッティングシールです。右は剥がせますが、左は薬剤で消さなければいけません。下地のOD塗装も消えるでしょうから全塗装ですね。

弾薬補給のイノベーション“Ammunition box M1”

1942年後半に機関銃向けに採用された金属缶方式は、従来の弾薬補給が抱えていた課題の多くを解決しました。まさにイノベーションといえます。事実、この補給方式は現代にいたるまで踏襲されています。

 米軍歩兵部隊での30口径機関銃の弾薬補給は、長らく小銃弾薬と共通の木箱(”Packing box M1917″)によって行われてきました。

 左のイラストがその木箱です。紙製のカートンに個別包装された計1500発の30口径弾(30-06弾)が梱包されていました。この木箱を開梱して取り出した弾を、右のイラストの装弾器を使用して機関銃用の弾帯にします。キャンバス製のベルトに弾を押し込んで、250発の弾帯をつくります。 250発の弾帯は、属品としての木製弾薬箱(”Ammunition Chest”)に収納されます。

 しかし、米国が第二次世界大戦へ本格参戦すると、この従来の方式は改善が必要となりました。戦地で機関銃の弾帯をつくるよりも工場出荷段階で弾帯状にしたほうが効率が良いからです。そこで当初は、カートンにかわって250発の弾帯を梱包した木箱が出荷されました。しかし、まもなく金属缶(”Ammunition box M1″)に移行しました。

 技術教範(”TM 9-1990″)に掲載された金属缶とその梱包です。1缶に250発の弾帯を収納した金属缶4缶を木枠で梱包した1000発で弾薬補給ができる方式です。金属缶は取っ手のついた蓋がラッチで開閉できる仕組みで、ガスケットにより密封されていたため、防水性能がありました。

以前に金属缶の木枠梱包を再現しています。記事はこちら。
30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #3

 この金属缶方式は、梱包を解いて金属缶を手にそのまま作戦に搬出でき、蓋を開けてすぐに機関銃へ装弾が可能な点で非常に優れた方式でした。前線において装弾器による弾帯づくりと、弾薬箱への弾の入れ替えという2つの作業を省略したうえ、軽量化と防水も実現したのです。金属缶”Ammunition box M1″の登場は、まさにイノベーションといえます。事実、この補給方式は現代にいたるまで踏襲されています。

戦後の新型金属缶M19A1の梱包。第二次大戦当時のM1で採用された方式を踏襲している。

 金属缶が採用された正確な時期はわかりませんが、1942年5月発行の技術教範「小火器弾薬」(”TM 9-1990″)の本冊及び同年9月発行の追補版(”C1″)には記載がないものの、同年11月に編纂された軍需学校教範(”OS 9-18″)には、従来の木箱にかわり金属缶が開発された旨の記載があることから、1942年後半には採用され、1943年以降には戦地へ出荷されていたと思われます。そして、金属缶への移行は、スムーズに行われたと思われます。

金属缶(左手前)と従来の木製弾薬箱(右奥)。大きさは一回り違い、重さも木製弾薬箱が約2.3kgであるのに対して金属缶は約1.5kgと軽量です。

 これは、戦地の兵隊の身になって考えてみるとわかりやすいと思います。仮にあなたが機関銃チームの一員であったとしたら、木製で重く嵩張り、弾帯が1本しか入らない木製弾薬箱はすぐに武器係に返納して、軽く防水性に優れた金属缶を携行するでしょう。金属缶は使い捨て”expendable”と規定されていますが、棄てずに弾薬箱として再利用することも可能です。そのうえ、員数管理が不要であることは、戦地の兵士には歓迎されたはずです。弾薬箱以外の用途――壕の雨水出しや簡易便器、調理器具など――に使うことも可能だからです。第二次大戦をテーマにした映画やドラマでは、兵士らが金属缶を調理器具としてつかうシーンが見られますが、これはフィクションなどではなく、員数管理がされない使い捨て金属缶ならではの用途と言えます。

 金属缶への移行がスムーズだったと思われる根拠は教範にも見られます。1943年6月発行の水冷式機関銃M1917の備品カタログでは、従来の木製弾薬箱”Chest, Ammunition, 49-1-84″は削除され、かわりに金属缶”Ammunition box M1″が備品として掲載されています。1943年半ば以降の歩兵用機関銃チームを再現するならば、金属缶を装備するのが良いでしょう。

WWII 米軍 小火器向け補給用弾薬箱「Packing Box M1917」

「Packing box M1917」は、様々な弾薬補給につかわれたので、木箱そのものの外形は同じでも多くの種類があります。時代によって、木箱の塗装やマーキングの内容も変遷があります。

トップの写真は、第二次大戦での第101空挺部隊の活躍を描いたドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」第五話のシーンです。バストーニュの森へ向かうE中隊の兵士らは、不足していた弾薬類を戦場からかき集めます。兵士らは木箱から取り出した補充弾帯(バンダリア)を手に、敵と寒さが待ち受ける森へと向います。

米軍の小火器向け補給用弾薬箱は、長らく「Packing box M1917」という木箱がつかわれてきました。名称からわかるように、第一次大戦に採用されたものです。ライフルや機関銃用の30口径弾(30-06)や50口径弾、カーバイン、45口径弾、12番散弾などの補給に、第二次大戦が終結するまで各戦場でつかわれました。

上記の写真は左右いずれも1944年に撮影されたものです。左の写真は米本土西海岸での演習時の様子で、30口径弾の木箱をトラックに積載しています。右の写真はマーシャル諸島攻略作戦前の船上風景で、陸軍第七師団の将兵が50口径弾を開梱しています。

木箱の外寸は、高さ18-7/16インチ(468mm)、奥行き9-7/16インチ(240mm)、幅14-13/16インチ(376mm)、体積は1.5平方フィート(4205リットル)です。木箱そのものの重量は12ポンド(5.4kg)で、おおよそ100ポンド(45.5kg)以上の耐荷重があります。

構造はなかなか凝ったつくりになっています。 木箱の板材は、それぞれ溝や切り欠きを加工して互いの板材が支え合う構造になっています。耐荷重を得るためです。

このイラストは技術教範に掲載されているもので、木箱を開梱してM1ライフル用の補充弾帯(バンダリア)を取り出すまでの一連の動作を示しています。イラストにある説明(動作説明A・B・C、物品紹介1~8)は以下の通りです。

上蓋は側板からのびた6本のロッドを蝶ネジ(1)でとめています。蝶ネジを外して上蓋をとると(A)、なかには内容品(弾薬種別等)を示す紙製のカードが入っています(2)。木箱の内側は金属製のライナーで密封された状態で、取っ手(4)を引っ張りライナーを開けます(B)。上面にある保護用のフェルト(3)を外して、補充弾帯(5・6・7・8)を取り出します(C)。

上記はM1ライフル用の補充弾帯(バンダリア)のレプリカです。 補充弾帯には各ポケットに8発クリップ計48発が入っており、内容品を示す紙製のカードが入っていました。木箱には計28本の補充弾帯が梱包されており、1箱で1344発の弾薬を補給しました。

ところで、今回、話題にしたいのは、塗装とマーキングの変遷です。

「Packing box M1917」は、様々な弾薬補給につかわれたので、木箱そのものの外形は同じですが多くの種類があります。また、時代によって、木箱の塗装やマーキングの内容も変更があります。以下では、歩兵の主力火器である30口径弾(30-06)の補給用弾薬を中心に、リエナクターやコレクターにとって必要な見分け方を当時の教範をもとに紹介します。

「Packing box M1917」の塗装とマーキングは、おおむね1942年以前・1942年~1943年・1943年~1945年頃・1945年以降に区分できます。その区分をイラストで示したのが以下になります。

まず、1942年以前は、このように未塗装の木箱に弾薬の種別がカラフルな色で識別できるように塗装されていました。このイラストでは赤色=BALL(通常弾)を示しています。木箱に記載される内容は、弾薬種別(”CAL..30,BALL, M2″)・数量(”1500″)・梱包方式(”CARTONS”)・製造所名(”DES MOINS ORD. PLANT”)・ロットナンバー(”D.M. 20096″)です。マーキングは黒色のインクがつかわれました。

1942年時点での30口径弾(30-06)の代表的な弾薬種別カラーコードは以下の通りです。

  • 通常弾(”Ball”):赤
  • 徹甲弾(”A.P.”):黄+青
  • 曳光弾(”Tracer”):黄+緑
  • 焼夷弾(”Incendiary”):黄+赤
  • 小銃擲弾用空砲(”Rifle Grenade”):青・白
  • 演習用空砲(”Blank”):青
  • 訓練用擬製弾(”Dummy”):緑

このカラーコードは、木箱に塗装されたほか、木箱に詰められた弾薬の個包装(紙製のカートン)にも印刷されました。

こちらは 個包装を再現したレプリカです。左の写真は徹甲弾(”A.P.”)、右の写真は曳光弾(”Tracer”)です。紙製のカートンには、このように表面に弾薬種別のカラーコードが印刷されていました。 カートンには20発の弾が詰められており、木箱には75箱、計1500発が梱包されていました。

1942年には、このように木箱全体が茶色に塗装またはステインで着色されるようになりました。戦地における偽装塗色を意識したものと思われますが、工場出荷時に対応したようで、納品済みのものを戦地で再塗装することがあったか否かはわかりません。弾薬種別の色分けは踏襲されています。

また、木箱に記載される内容は1942年以前と同様ですが、文字は黒から黄色に変更されました。米軍の梱包規定における本来の文字色は黒または白のみです。黄色のマーキングは、火薬・爆薬を充填した危険物を示す記載として戦後も踏襲されています。

1943年には、マーキングの内容に大きな変更がありました。まず、弾薬種別の色分け塗装が廃止されました。次に、 5桁の英数字からなる型式が振られています。 また、梱包方式が文字とともにシンボルマークで記載されるようになりました。このイラストでは、 型式は「T1EHA」、 シンボルマークはM1ライフル用8発クリップ補充弾帯を示しています。

型式は、小火器から大口径砲弾・爆薬にいたるすべての危険物について、木箱形状・種別・梱包数量によって定められています。小火器用弾薬は頭文字が「T」から始まるコードです。30口径弾(30-06)には「T1E」が振られています。コードの一覧は以下のWikipediaで紹介されていますので、興味のある方はご覧になってみてください。

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_U.S._Army_munitions_by_supply_catalog_designation

1943年に採用されたシンボルマークは上記の5種類です。左から、M1ライフル用8発クリップ補充弾帯(”8RD CLIPS BANDOLEERS”)、M1903/M1917ライフル用5発クリップ補充弾帯(”5RD CLIPS BANDOLEERS”)、30口径機関銃用250発キャンバスベルト(”250RD AMMUNITION WEB BELTS”)、30口径機関銃用金属リンク(”LINKED”)、50口径機関銃用金属リンク(”LINKED”) です。紙箱(”CARTONS”)のシンボルマークはありません。

シンボルマークは、識字不要で内容物が誰にとってもすぐに判別できるという点で、非常に優れた記載方法だったと思います。

1945年以降は、このように茶色の着色が廃止され、マーキングの文字も黒に戻りました。戦争終結が見えてきたなかで、偽装塗色の必要性が薄れたためと思われます。マーキングは黒に戻りましたが、前述の通り、弾薬や爆薬を直接梱包する金属缶については、戦後も長く黄色のマーキングが踏襲されています。

ガーランド用8発クリップの刻印

この趣味も長くやっていると、知らぬ間にある程度のバリエーションがあったりします。

 自分はコレクターとしては不真面目なので、バリエーションを集めることにはあまり意識が向きません。当時の情景状況の再現ならばレプリカや戦後代用品のほうがフィールドで気兼ねなくつかえるという事情もあります。

 そんなわけで資料的な価値をアピールできるものでもないですが…そこそこバリエーションがあったのでご紹介したいと思います。自分自身がネット上の現物写真で勉強させてもらっているので、これもどなたかの参考になれば、と。

 M1ライフル(ガーランド自動小銃)の8発用クリップは、軍用としては戦前から戦後1970年代頃?まで各国で製造されており、戦後の民生品は現在も製造されているようです。クリップはスチールのプレス加工品で、形状それ自体に違いはありませんが、底部の刻印で製造メーカーと年代の識別ができます。手元にある数十個のクリップを確認してみると、トップの写真のように10種類のバリエーションがありました。

 こちらは戦時中の米国製造品です。左から「IS」「WEP」「SA」(文字小さめ)「SA」(文字大きめ)「無刻印」です。

 「IS」はインターナショナルシルバー社、「WEP」はウェイドエレクトリック社、「SA」はスプリングフィールド造兵廠で、文字が大きいのは戦時中、文字が小さいのは1943年~1950年代生産品。無刻印は初期のスプリングフィールド造兵廠生産品だそうです。

 こちらの2点は戦後の米国生産品です。左の「AEC」はアグレッシブエンジニアリング社の民生品で、いまも一番入手しやすいものだと思います。右の「BR-W」はボルグワーナー社の生産品とのこと。

 こちらの3点は戦後の欧州生産品です。左から「L&H」はイタリア、「JMO」はドイツ、「MBZ」はオランダです。

 参考にした「AMMO GARAND.COM」によると、約40種類ほどのバリエーションが確認できているようです。お手元のクリップの刻印を確認してみては如何でしょう?

M1 GARAND 8RD CLIP MARKINGS & CODE LIST

https://www.ammogarand.com/m1gaclco.html