免許あります。ペーパーです。

経験も資格もないのに、爆薬の講釈をするのは恥ずかしいので、一般市民でも得やすい資格をとりました。昨年のことです。

 甲種火薬類取扱保安責任者という資格です。神戸にいたときに取得したので、免状は兵庫県知事名です。月1トン以上の爆薬や火薬を消費(発破)できます。爆薬や火薬の種類は問いません。扱えないのは銃刀法に規定する銃用雷管ぐらいでしょうか。

 免許は終身ですが、実務に就くには、免許とは別に保安手帳というものの交付を受けたうえで、定期講習の受講が義務づけられています。実際に爆薬を扱うわけですから、事故を防止するためにも定期的なフォローアップが必要だからです。

 フォローアップのための講習は、保安教育講習というものです。新規に免許を取得したときに手帳の交付を受けた場合は、この保安教育講習を受けたものと見なされます。自分は実務に就く予定はないですが、せっかくの機会ですから手帳の交付を受けました。なので、資格としては、いつでも発破ができます。

 ただ、実際に発破するには、かなりの手順を踏まないとできません。発破を予定する土地の地元消防と相談して、行政(都道府県)から消費と譲渡の許可が下りてから爆薬を購入し、保管や輸送、現地で安全基準にもとづく処置などをおこなう必要があります。

 消費と譲渡の許可は、採掘や工事などの理由であれば下りやすいと思います。昔は開墾で木の根をダイナマイトで爆破して抜根していたらしいですが、いまはほとんどないでしょう。劇用などでは入念な調整が必要だと思います。実績や経営体制も審査の対象になるはずです。許可条件以外での消費はもちろん違法です。

 保安教育講習は2年度の更新制です。自分は昨年度に免許を取得したので、来年末が更新期限です。失効させないためには来年度中に講習を受講しなくてはいけません。受講にはそれなりの金額もかかるので、実務に就く予定がない人には、あまり意味がありません。

 ミリタリーの視点からすると、本職以外で免許を取得する意味はありませんが、爆薬(火薬)に関する正しい知識が得られること、それを資格という形で示すことができるので、関心がある人にはお勧めです。受験資格はありません。免許取得だけで手帳の交付を受けなければ、受験料と合格後に免状を申請する費用以外に継続した費用負担もありません。

 試験は毎年1回、秋頃に開催されます(2020年は新型コロナウィルスの影響で年末に変更されたようです)。試験内容は、法令と一般火薬学から出題されます。それぞれ20問です。正解を選ぶマークシート方式で、合格ラインは6割正解です。合格率は毎年受験者の2割弱のようですが、過去問から多く出題されるので、ある程度、時間をかけて対策をすれば、誰でも合格できます。

 受験対策のテキストは複数ありますが、業界で評判が良いとされているのは、“香川本”と呼ばれる過去問集とCD付きのテキストのようです。香川県砕石事業協同組合が発行しているものです。自分もこのテキストで受験対策をしました。いまもたまに見返したりしています。

 なお、小規模でも爆薬や火薬の製造(素材からの製造だけでなく、既製品の改造も含む)に該当する場合は、火薬類製造保安責任者(甲・乙・丙いずれか)の資格を取得している必要があります。

 火薬類製造保安責任者の資格のうち、甲・乙は、すべての爆薬と火薬の製造にかかわることができます。丙は、主として花火の製造にかかわることのできる資格です。甲・乙を取得した場合には、甲・乙それぞれに該当する取扱保安責任者の資格が無試験で申請により得られます。

 甲・乙の火薬類製造保安責任者試験は、取扱保安責任者試験にある法令と一般火薬学にくわえて、製造方法や試験方法、工場管理、電気・機械工学などの項目が追加されています。原料を含む知識が問われますから、より見識を深めたい方は、製造保安責任者試験の受験を検討されてもよいかと思います。詳しくは、公益社団法人全国火薬類保安協会のホームページか、お住まいの各都道府県火薬類保安協会の案内をご覧ください。

2年ぶりのイベント参加です。

2020年9月20日に千葉県で開催されたイベントにBCoのメンバーとして参加してきました。イベント参加は2年ぶりです。野戦電話の架線と通信の基本を演練してきました。

 今回のイベント「軍装うろうろ撮影会」は、サバイバルゲームのフィールドをお借りしてはいますが、エアガンは使用せず、参加者が自由に談義や物販や教練を楽しむ、自由で和やかなイベントでした。新型コロナウィルスによる接触制限で、ほぼすべてのイベントが自粛中止を余儀なくされてきました。ようやく状況が落ち着いたなかでの久しぶりのWW2イベントということで、多くの皆さんと顔をあわせることができました。主催者の@nagatasub4455さん、ありがとうございました。

 イベントでは、主催者さんの意向に呼応して、参加者各位が持ち寄った日独米の野戦電話器材が集合し、操作方法などの知見共有がおこなわれました。イベントは午前10時から午後4時と、およそ半日の短い時間でしたが、非常に内容が濃い、有意義な時間を過ごせたと思います。BCoでは午前中に糧食再現と喫食、午後に有線構築の教習をおこないました。以下で時系列にイベントでの活動内容を紹介し、あわせて当日のレギュレーションと使用器材、当時の歩兵部隊における通信手段についてご紹介したいと思います。

 午前中は糧食再現と喫食です。グループレーションの10in1を再現したものになります。缶詰とクラッカー、粉末のインスタントコーヒーなどがセットになったものです。ライフル中隊には、コールマンが軍に納入したシングルガソリンバーナーが12台配備されており、このようにレーションを調理する目的としてもつかわれました。少しでも温食として美味しく食べられるようにという分隊長の心遣いが嬉しいですね。各自のメスキットに配膳して、美味しくいただきました。

 13時から有線の構築にかんする教習です。まずは座学で、器材の基本的な扱い方、架線や結線の仕方などを学びます。有線で通信が途絶する原因が短絡と断線です。ともにちょっとした工夫で防ぐことができますが、実際に学んでみると、非常に納得します。

 座学のあとは、森林内に移動して、実際に架線をしたうえで、電話機をつかった通話応答テストを実施しました。樹や草などの地物を利用して、架線をしていきます。通話は、EE-8野戦電話機と音声通話器TS-10でテストをおこないました。フィールド内の架線は約100メートルと短いものの、リールに約400メートルの有線を巻いた状態でテストします。70年以上前の器材で非常にクリアな音声が聞こえることに驚きとともに、実用性の高さを実感しました。

 BCoでは、リエナクトメントの実践として、演習やイベントに応じて、都度、史実を想定したレギュレーションを設定しています。今回のイベントにおけるレギュレーションは次の通りです。

レギュレーション

【想定部隊】アメリカ陸軍 第34歩兵師団第133歩兵連隊第100歩兵大隊B中隊第3小隊

【被服・装備】
※複製品、代用品の使用可。代用品についても複製品に準じます。
※「推奨」はあるとより良い物を指します。
※「☆」印は装備位置を示します。

・被服(すべて必須)
ODサマースリーブレスアンダーシャツ/ODアンダードラウアー/ODウールクッションソックス/ウール(マスタード)シャツ(34師団章着用)/ウール(マスタード)トラウザース/トラウザースベルト/気候によりODフィールド(M41)ジャケット(34師団章着用)/サービスシューズタイプⅢ(いわゆるM43型ラフアウトブーツ)及びレギンス/レインコート(☆ハバーサック)

・装備(共通)すべて「推奨」
ハバーザック/Tボーンショベル(☆ハバーサック)/ガスマスクバック(ライトウェイト)カーキ(面体無くても可)/M1ヘルメット(34師団章ペイント必須。固定ベイル推奨、可動ベイル可、プラスチックヘルメット不可)/ハーフテント(OD、カーキ共に可、カーキ推奨。スナップボタンのタイプは不可)/ウールブランケット×1(☆テントロールで携行:推奨)/メスキット(☆ハバーサック)及びメスキットポーチ

・装備(腰周り)
ライフル装備:M1923カートリッジベルト/水筒(☆右腰)/包帯ポーチ(☆左横)/銃剣(☆左腰またはハバーサック)
カーバイン装備:ピストルベルト/包帯ポーチ(☆左腰)/水筒(☆右腰)/マガジンポーチ(☆左前)/ナイフ又は電工ツール(☆左腰)(任意)

・装備(火器)
M1ライフル及びバンダリア 1~2本(任意)/手榴弾 1~3発(任意)/今回はM1カーバイン可

・「推奨」被服及び装備ならびにハバーザック入組品
防寒アンダーシャツ(着用は任意)/防寒アンダーパンツ(着用は任意)/ドックタグ(ボールチェーン。又は紐)/ニットキャップ(形状、色が著しく違う複製品は使用不可。実物推奨)/ハンカチ/M36サスペンダー(ストラップ切断品のみ使用可能)/M1ヘルメット(固定ベイル)/ヘルメットネット(スモールメッシュ官給型。他は不可)/ウールクッションソールソックス 1~2足/レインコート/メスキット/ハックタオル/洗面セット

これらの装備類は原則、自弁でご用意いただきますが、「どうしても○○だけ用意が難しい」等の場合、余剰品のレンタルもしくは販売できる場合もあります。ご相談下さい。
ウール、金属アレルギー等有る方はご相談ください。

【その他】
髪型はサイド、後部は短く、モミアゲは耳の穴より上で整えて下さい(長髪の場合分からない様に極力工夫して下さい。)
眼鏡はボストンフレーム。
時計は当時のスクエア又はオーバルタイプの私物品、同等品以外は着用不可(服薬等で時計が必要な場合、事前にご相談下さい)。


【階級(役職)】※事前に指名
基本的にPvt 兵のみの募集です。階級章についてはこちらから指定する他は着用無しでお願いします。

 レギュレーションにあわせて用意した個人装備です。中隊本部所属の伝令もしくは大隊通信小隊から派遣応援された通信兵の想定になるかと思います。このほかに被服と野営具(テント及びブランケット)が加わりますが、当日のイベントでは軽装での教習となりました。

 イベントで使用した器材です。左上からCS-34電工具セット(TL-29電工ナイフ、TL-13電工プライヤ、レザーケース)、EE-8A/B野戦電話機、C-114回線増幅器、RL-39リールユニット(DR-8Aリール及び有線、ST-34/35ストラップ)、TS-10音声通話器です。WW2米軍歩兵部隊では、ライフル中隊がRL-39とTS-10の組み合わせで構成するCE-11ユニットを2セットで、無電池音声通話2回線が規定装備になります。電話機は大隊通信小隊の装備です。

 最後に、1944年のフォートベニング歩兵学校の資料に基づいて、当時の歩兵部隊(大隊及びライフル中隊)の通信器材及び構成についてご紹介します。

 この構成図は、1944年時点の歩兵大隊内における連絡手段と構成を示したものです。各中隊との連絡手段は有線(TELEPHONE)、無線(RADIO)、伝令(MSGR)、信号弾(PYROTECHNICS)です。信号灯(LAMP)は1944年に廃止されているので記載がありません。∞マークは空地連携でパネルなどをつかいます。

 図の中央にあるライフル中隊との連絡手段のうち、有線と無線について着目してみます。まず有線には「CE-11 or EE-8」とあります。CE-11は、ライフル中隊が装備する無電池音声通話回線です。EE-8は大隊通信小隊から貸し出す電話回線になります。無線は「SCR-300」とあります。これもEE-8と同じく大隊通信小隊から中隊へ貸与されるものです。

 当時の無線機の限界(電池と電波)から、大隊~中隊間の連絡を無線に頼ることはすこぶる不便であると同時にリスキーでもあります。そこで有線を引いたうえで電話機(EE-8)を貸与されることも少なくありませんでした。この構成図はその実態を示しています。

 こちらの図は、同じく1944年時点でのライフル中隊内における連絡手段と構成を示したものです。ライフル中隊が編成上有する通信器材は、前述の通り、有線がCE-11による無電池音声通話2回線、無線はハンディタイプのSCR-536が6台です。CE-11による有線は、大隊間との連絡に1回線をつかうので、残り1回線を火器小隊の60ミリ迫撃砲チームで観測につかいます。中隊本部と各小隊間は無線で6台のSCR-536を充てます。各小隊に4台と中隊本部に1台ですから、残り1台は予備と考えられます。

音声通話器TS-10はヤフオクに出品中です。1944年製で動作確認済みのものです。ご関心のある下記のバナーからご覧ください。

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イタリアンフロントー1944年6月

 あの日は、6月だというのに随分と寒い日だった。夜間斥候中にドイツ兵と遭遇したからよく覚えているよ。懐中電灯で顔を照らされたんだ。

 ゴツゴツした岩場を前にした窪地が自分たち分隊の宿営地だった。夕方から雨が降り始めたけど、本降りの前に壕掘りを終わらせることができたから、天幕の屋根と、底には枯れ葉も敷いて、快適な寝床がつくれた。

 Kレーションを食べて、水で溶いた冷たいコーヒーを飲んだ。人心地ついて、バディのクライネと一緒に壕へ潜り込んで身体を横にしてすぐだった。副分隊長の声がした。

「トクナガ二等兵、15分後に分隊長壕に集合。夜間斥候に出る」。

 やれやれ。せっかく休めると思ったのにこれだ。心なしかクライネが嬉しそうだ。こいつは立哨の後にすぐ昼間斥候に志願して壕掘りを途中で抜けた。抜け目ない。軍隊は要領だ。小さな損が積み重なって、それがいつか生死を分けることになるのかもしれない。

 分隊長壕に行くと、副分隊長とGJがいた。2人一組の斥候。自分は分隊長と組む。

 分隊長はハワイ出身で、大隊が出征した時からの生き残りだった。新婚らしいが、自分との間でプライベートの話をしたことはない。BAR射手のナカタニとは同じ島の出身らしく仲が良いようで、何度か冗談を言い合っているのを見かけた。自分には打ち解けた態度をとることはなかった。かといって差別するようなこともなかった。

 今夜の斥候は、正面約2マイル先にいる敵が設置した障害と陣地の構成を把握すること。翌朝の攻撃発起に備えてのことだそうだ。

 分隊長から目標を聞いて、初めて敵の主力がすでに後退していることを知った。いま正面には殿(しんがり)の一個中隊しかいないらしい。それを聞いて少し気が楽になった。

 ドーランを顔に塗って、水筒の水を飲んでから、ライフルと弾薬だけ持って出発する。

* * * * *

 昼間は緑が美しい木立も、夜は黒々として、雨でボヤっとしか見えない。収容所に入る前に祖父が見せてくれた筆と墨で描いた水彩画みたいだ。

 1時間ほど前進して、敵陣地の近く、Dポイントまで来た。ここで副分隊長・GJ組と別れる。彼らは右翼からぐるりと迂回して、敵の側方から偵察する。自分らは正面を偵察する。2時間後の集合を約して別れた。

 二人と別れた後に、分隊長に小声で合い言葉を確認した。二人に聞かれると恥ずかしいからね。でも、この夜に合い言葉をつかうことはなかった。副分隊長とGJの二人は集合時間になっても現れなかったんだ。今となっては彼ら二人の顔をあまりよく思い出せない。GJが洒落た丸メガネを掛けてたのは覚えてる。

* * * * *

 暗闇でほとんど何も見えない。何度も目をこすったが、見え方に変わりはなかった。ほんの10フィート先をいく分隊長の後ろ姿さえ、わずかに動いた時の輪郭がぼんやりとしか見えない。分隊長の微かな足音を頼りに進んでいく。

 ポポポポ。小さな動物のような声で分隊長が自分を呼んだ。腰をかがめながらそばまでいく。促されて、初めて敵の張った鉄条網が目の前にあることがわかった。昼間斥候でこの鉄条網の存在は把握していたそうだ。ここを起点にして鉄条網に沿って動き、敵陣地の構成と敵機関銃の位置を調べる。

 斜面から窪地へと動いていった。そのときだ。「×□△◇※!」。すぐに100フィートほど後退する。声の感じからすると随分近かったようだが、ドイツ兵は撃ってこなかった。

 窪地から脱出したあと、谷を覗くようなところで、白く浮かび上がった道路上を敵の歩哨が通過していくのを見送っていたときだった。向かいの尾根からドイツ兵の声と数発の銃声が聞こえた。副分隊長とGJが見つかったのだろうか?

 ふと後ろを見ると、遠く左斜めを赤色の懐中電灯が横に遠のいていく。敵の伝令のようだ。

 尾根から鉄条網を横に見るような斜面でしばらく様子をうかがう。斜面の中腹あたりでチラチラと灯りが見えた。壕の中でランプを使い、天幕が捲れた時に光が漏れたのだろう。しばらくして灯りは消えた。

* * * * *

 敵はかなり警戒しているはずだが動きがない。殿だから、わざわざ出張って無駄死にすることもないと、穴に籠もっているのだろう。こちらとしては好都合なので偵察を続けることにする。

 分隊長は、最初に誰何を受けた場所に戻るという。鉄条網の構成と仕掛け爆薬がないことはだいたい把握できたが、機関銃の在処がまだわからない。分隊長はあそこが機関銃の穴かもしれないと言う。誰何の後に槓桿を引く音が聞こえたが、それが小銃ではなくて機関銃のように聞こえたからだそうだ。自分はドイツ兵の誰何にビックリして、その音に気がつかなかった。

 ふたたび窪地へ移動していき、最初に誰何を受けた場所を迂回して、斜面の上に出たときだった。赤色の懐中電灯がこちらに向かってくるのが見えた。さっきの伝令が戻ってきたようだった。すぐに木の陰に隠れる。

 赤色の光はこちらにどんどん向かってくる。木に沿わしている身体を赤色の光に合わせて少しずつ動かすが、奴はほぼ真っ直ぐに自分に向かってくる。なんてこった!

 音を出さずにジッとやりすごそうと動きを止めた。そのときだった。真横まで来た赤色の光がこちらに向けられた。暗闇のなかで自分の顔が赤く照らされた。数秒の間があったと思う。なんとも不思議な感じだった。

 赤色の光が何か喋った。動けなかった。二言目が聞こえたその瞬間、分隊長の低く力強い「逃げろ!」の声とともに、脱兎のごとく走り出した。

 後ろでドイツ兵が大声で叫ぶ。よろめきなが30フィートほど走り、左足の脛に倒木を感じた瞬間に、自然と受け身の姿勢をとった。コロリときれいに身体が反転して仰向けになった。すぐに起き上がって、腰かがみに早足で逃げる。ドイツ兵は追ってこなかった。

 さすがに敵の陣地も騒がしくなった。遠く後ろでドイツ兵の誰何と銃声が3、4回繰り返された。敵も見えないのだ。怖いのだ。

 分隊長は、この騒ぎに乗じてもう少し偵察を続けようという。斜面を下って迂回しようとしたが、さすがの敵も警戒強化に出てきたようで、接近が困難になった。分隊長は偵察続行を断念し、集合ポイントに戻ることにした。

 集合ポイントに到着して、木立を背にして座った。分隊長が夜光時計を確認すると、集合時間まであと30分だった。

 雨が強まっては弱まり、また強まっては弱まった。パタパタと雨雫が地面に落ちる音で、二人が来たんじゃないかと何度か耳をすませた。しかし、二人は現れなかった。

「来ないな。帰還しよう」。分隊長が意を決したように起き上がった。「ガスが出てきたな」。分隊長は霧で視界が落ちたというが、迷うことなく進んでいく。自分の目では霧の有無で視野に違いはなかった。ハワイ育ちは夜目が効くのだろうか。

* * * * *

「ご苦労だった。壕に戻って休め」。

 そう声を掛けられて、さっき通ってきた場所が味方の歩哨壕だったことに気づいた。本部へ報告に行く分隊長と別れ、足探りで分隊宿営地に戻る。万が一穴に落ちて仲間を踏んづけでもしたら、笑い物どころか袋叩きに遭うのがオチだ。この大隊で本土出身の補充兵はあまり好かれていない。

 GJの壕を覗いて彼が戻ってないか確認しようかとも思ったが、いざ自分の壕にたどり着いたら、100フィート先の彼の壕まで行く気が起きず、すぐ雨具を羽織って壕に入りこんだ。クライネの吐息が聞こえた。寝床は濡れていなかった。

 うまく掛けられない毛布を胸の前に抱くようにして横になる。ガチガチと歯が鳴った。確かに寒いが、緊張が解けたのもあったと思う。すぐ眠りに落ちた。

 起床までの間に足の寒さで何度も目を覚ました。天幕の張り方が雑で、足だけ雨に濡れていたからだ。途中、クライネが壕の外に出た。声は掛けなかった。朝になって聞いてみたら、壕の側壁から飛び出た木の根から水が滴って冷たさに堪えきれず、しばらく外にいたそうだ。明け方前に分隊長が声を掛け、クライネは壕の中に戻ってきた。このときも自分は声を掛けなかった。クライネが横に来た瞬間に、壕の中の温度が1度上がった気がした。

 目が覚めて、なんとなく天幕の外が明るいな、と感じた。すぐに「起床!10分後に分隊長壕に集合」の声が聞こえた。今の声は誰だろう。自分には副分隊長の声に聞こえた。

(終)

2019年4月28・29日にかけて富士周辺において、WWIIリエナクトメントグループのBco/100Bn及びLueders Kaserneの共同主催によりおこなわれたイベント時の様子を回想風に再現したものです。トップの写真は、毎回素晴らしい戦場写真を撮影いただいている、太郎丸(@taromaru1701)さんの作品です。

2017年夏に御殿場で開催されたミナミカタ戦はすごかった。

2017年の夏に御殿場で開催された日米戦イベント「ミナミカタ戦」に見学参加した、その思い出。

タイトルに「ミナミカタ戦」と書いていますが、イベントの正式な名称は「この戦場は南方」です。下記のミリタリーブログでオフィシャルなイベントレポートがアップされています。YouTubeで動画も見られるようです。ご関心のある方はぜひご覧ください。

https://espg.militaryblog.jp

 MVG2017でお友達になっていただいたBCoのメンバーが日米戦のイベントを主催するからこない?と誘われました。軍曹(@bco_100bn)と先任(@xxkfirxx)が日本軍で協力するというので、自分も急遽、チビと一緒に軍装を整えて見学参加することにしました。

 トップの画像は、1泊2日のイベント2日目の戦闘状況修了後に、講評と集合写真の撮影を行った時の様子です。このイベントは本当にすごかった。これまでイベント参加経験のないお宅マニアの自分にとって眼から鱗が落ちたイベントでした。

 Bco先任氏が参加協力しているので、糧食も本気の再現度です。

 見学参加とはいえ、子供を連れた新参者が場の雰囲気を壊したくなかったので、出来る限り衣装を揃えることにしました。たしか1ヶ月ないぐらいでしたが、皆さんのご協力もあって、なんとか上から下まで二人分を揃えました。

 いくら当時のご先祖様達が現代人より小柄だとはいえ、さすがにチビのサイズの軍衣袴はありませんので、ゾゾタウンのリユースウェアでそれっぽい色柄のものを複数取り寄せ、靴は地下足袋で見繕いました。装具を付けると良い雰囲気だと思いませんか?自分はいろいろな方からのご協力で、一応、頭から下まで揃えることができました。南方の貨物廠あたりにいそうなオッサン召集兵です。

 この写真を撮ったのはたしか二日目の状況中で、皆さん森の中に入っていた時だと思います。日本軍大天幕の前で、赤城兵団さんからお借りした双眼鏡でポーズを決めるチビ。なかなか雰囲気が出ています。

 このイベントは、リエナクトとヒストリカルゲームの中間?的位置づけだったかと思いますが、本当に素晴らしいイベントだったと思います。次回開催があるならば、その時は見学ではなく、なんらかの役割をもって参加したいと強く感じました。せっかく揃えた南方衣装もこのときだけしか袖を通していませんし。