VRで大事なのは、いかに没入感を与えるか?用品から所作までこだわるのは、脳を騙してその気にさせるため。
前職でVR(バーチャル・リアリティ)のコンテンツ制作や教育効果の検証を手がけていました。世界で(たぶん)初めてのデバイスとコンテンツを開発したこともあります。近年のVRは、視野を覆うゴーグルを着用して、スクリーンに映し出された映像と音響を通じ、あたかも現実に見ている・聞いている・感じているという没入感を実現しようとするものです。ですから、人間の認知とVRの関係には、もともと関心がありました。しかし、リエナクトメントとVRを結びつけることはありませんでした。
リエナクトメントとVRを結びつけて考えるようになったのは最近のことです。考えるきっかけとなったのは、どなたかのツイートで、たしか重量の再現についてだったと思います。自分もいつからか重量の再現を当然のことと考えていたので、そもそもそれが何のために必要かを考えているうちに、いつの間にかリエナクトメントとVRの関係を考えていました。
リエナクトメントは、過去の史実を追体験するものです。ドキュメンタリーの映像作品やノンフィクションの戦記なども史実の再現であり、視聴者に感動や共感を与えることができます。臨場感を得るという意味では、これらも広義のVRと言えるかもしれません。しかし、リエナクトメントは、参加者である自身の身体活動を伴うところが特徴です。
人間の認知は奥深いものです。人間の認知は視覚と聴覚が大部分を占めますが、ふだん意識しない(意識する必要がない)ものは、見えていても脳は見ないし、聞こえていても脳は聞きません。脳に余計な負荷をかけないために、意識に上げないからです。神経科学者が「脳は勝手にサボるもの」というのがそれです。
視覚と聴覚が平常時の処理に追われ、できるだけサボる一方で、臭覚や触覚(寒暖から第六感的な気づきまで)は、いざというときに力を発揮します。ガス栓の閉め忘れなどで、大騒ぎになった経験のある人はけっこういると思います。このような感覚器官からの情報は、異質なものに敏感です。
これは逆に、人間に真の没入感を与える=脳を騙すには、視覚と聴覚はもちろんのこと、このような感覚器官からの情報にもリアリティを付与しなければいけないことを示唆しています。そのうえ、これらの感覚器官は異質なものに敏感ですから、重さや感触や臭いといった感触が異質だと気分が乗りません。醒めるわけです。
ところで、リエナクトメントは、史実の再現を通じて、過去の歴史の継承、当時を生きた人たちへの顕彰や慰霊といった社会的価値があると指摘されます。これはどういうことでしょうか?
リエナクトメントであっても過去の完全再現はもちろん不可能です。しかし、できるだけ当時を追求すると、その過程で、ある種の実感というか納得を得ることができます。これは、動物のなかで唯一人間だけが持つ類推の機能を働かせることで得られるものだと思います。この擬似的な実感や納得を通じて、ほんの少しですが、過去を生きた彼ら彼女らへに寄り添うことができます。これは、思考で得るものが共感だとすると、共感も含めて、さらに身体の五感をもフル動員して得られるものです。まさに追体験であり、ここがリエナクトメントの社会的価値の源泉ではないかと思います。
過去の歴史の継承といった社会的価値を活動目的とするか、付随する価値としてみるかは、人それぞれの考えによります。ただ、リエナクトメントが身体活動を伴う参加型の史実再現である以上、その価値は再現の完成度=没入感をどこまで深く参加者に与えられるかが鍵になるといえます。VRとしての質の高さと言ってもよいかもしれません。ゆえに見た目だけでなく、重さや感触や臭いといった細部にこだわることは、参加者の没入感を支え、再現の完成度を上げ、ひいてはリエナクトメントの社会的価値に直結するのではないでしょうか。
参加者の没入感を高めるには、情景や用品、所作だけではなく、より重要なものがあります。それはロジックです。脳を騙すという話と矛盾するかもしれませんが、リエナクトメントの対象が軍隊と戦場体験の再現である以上は、リエナクトメントにおいて軍隊と戦場のロジックができるかぎり貫かれていなければいけません。このロジックは、たとえ知識としては理解できても、習得することは、教育もしくは学習を反復する以外にはなかなか難しいと考えます。そのような学習機会にもっとも恵まれているのは、本邦では自衛官です。プロである彼らの知見は、リエナクトメントを成立させるために不可欠と考えます。
この点、人間の学習効果は好きか否かで最大100倍のパフォーマンスの違いがあるといわれています。前述の通り、人間の認知は高度な類推機能も持ち合わせています。すなわち、たとえ専門教育の機会がなくても、軍隊と戦場のロジックが貫かれている活動に参加し続けることで、自身の生活体験からの類推もすべて動員した学習効果が、リエナクトメントに必要な資質を育んでくれるはずです。
そもそも、戦時の軍隊は平時と異なり、プロが少数でアマチュアが大多数を占めます。庶民がふだんの生活とは異質の軍隊に参加を余儀なくされ、戦場という異常な場を期間限定の“パートタイム”で経験するものです。ふだん軍隊(自衛隊)と無縁の人生を送る人こそ、リエナクトメントを通じて軍隊と戦場のロジックを学ぶ、それ自体が再現であるともいえます。