ガスマスクと入組品 #2

ガスマスク・バッグの重量は、おおよそレンガ一個分です。

 前回の記事にひきつづき、WW2米軍歩兵の化学防護装備についてです。本稿では、防毒面とともに携行が定められている諸器材(収容嚢への入組品)についてご紹介します。あわせて、それら入組品を含む重量についても実測し、リエナクトメントにおける再現の参考にしたいと思います。

 防毒面とともに携行が定められている化学防護器材は、戦争中に器材の改良や入組品の入れ替わりなどがありました。

 1944年4月発行の化学防護諸器材技術教範(TM 3-290)に示されているイラスト図です。ここで示されているのは、旧型の吸収缶をつかうサービス・マスクとともに携行する諸器材です。以下の器材を入組品として収容嚢で防毒面とともに携行することとしています。

  • PROTECTIVE OINTMENT #軟膏
  • ADHESIVE PLASTER #粘着布
  • EYE SHIELDS #眼帯
  • PROTECTIVE COVERS #防護合羽(2枚)

 軟膏は、露出した皮膚に付着する持久ガスによる水疱を予防・軽減するためのものです。粘着布は、テープ状のもので、防毒面の各所の密封や補修に使用します。眼帯は、ビニル製の簡易ゴーグルで、眼の保護につかいます。防護合羽は、全身を覆うビニル製の合羽で、頭からかぶってガス攻撃から身を守ります。

 軟膏、眼帯、防護合羽は、いずれも持久ガス(俗にいう“マスタードガス”)、それも敵航空機による散布(いわゆる“ガス雨下”)から身を守るものです。装備品から当時の戦法を垣間みることができます。

 化学防護諸器材技術教範(TM 3-290)には、1945年4月に発行された補遺C3があります。そこでは、戦争後期に標準装備とされていた3種類の防毒面に対応する付属器材と収容嚢への入り組み方法がイラストで示されています。上から順に、ライトウェイト・サービス・マスク、サービス・マスク、最下段は1944年から製造がおこなわれた新型防毒面、コンバット・サービス・マスク(COMBAT SERVICE MASK)の付属器材を示しています。なお、コンバット・サービス・マスクは、試験段階でアサルト・ガス・マスク(ASSAULT GAS MASK)と呼ばれていました。日本では、アサルト・ガス・マスクのほうが馴染みのある名称かと思います。

 これら戦争後期に標準装備だった3種類の防毒面には、共通して次のような器材が付属し、収容嚢に入ります。先ほどご紹介した1944年時点から変更があります。

  • PROTECTIVE OINTMENT AND BAL #軟膏及び解毒剤
  • EYE SHIELDS #眼帯
  • PROTECTIVE COVERS #防護合羽(2枚)
  • ANTI DIM #曇り止め

 1944年時点から変更されているのは、軟膏が解毒剤(眼軟膏としてつかう)とセットになったものに変更されていること、補修や封密につかう粘着布が除外されていること、そして、新たに曇り止めが追加されていることです。粘着布の除外理由はわかりませんが、これからご紹介する防水加工キットに同様の粘着布が含まれています。以下に1945年時点の入組品を写真でご紹介します。

 解毒剤は、眼に付着した持久ガスの効果を解消するための眼軟膏です。1944年までは衛生部(Medical Department)からの支給品でしたが、1945年に採用された新型(KIT, PROTECTIVE, OINTMENT, M5)では、金属製のケースに4本の軟膏と解毒剤(眼軟膏)が入ったセットのかたちで支給されるようになりました。 

 眼帯です。もともとは英軍の装備品を参考に採用されたものです。ビニル製の使い捨てゴーグルで、遮光可能な暗色のものが2枚、透明のものが2枚の計4枚がセットになって、封筒状のボール紙で包装されています。

 防護合羽です。頭からかぶってガス攻撃から身を守るビニル製のカバーが入っています。このカバーの携行定数は2枚です。

 このカバーは1枚が280グラムの重さがあり、入組品のなかでもけっこう嵩張ります。戦地では、このカバーを棄てたり、別の用途に流用する事例が頻発したそうです。1944年に別の用途での使用が正式に許可され、兵器や備品用品の防水シートなどにつかわれたといいます。例えば、HBOで映像化された「The Pacific」の原作となったユージン・スレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』では、沖縄戦において防護合羽を迫撃砲の防水カバーとして使用した旨の記述があります。

 防護合羽を別用途で使用する許可がでた理由については諸説ありますが、もともと防護合羽は低温での耐久性が低いという課題がありました。新たに寒地用の防護合羽(COVER, PROTECTIVE, INDIVIDUAL, COLD CLIMATE)が採用されており、従来の在庫品を消費する意図も許可の背景にあったのではないかと考えます。

 曇り止めです。グレーの円筒形の金属缶に、溶剤を含んだ布が入っています。製造時期によって、溶剤が別になっているものもあります。この曇り止めは、1942年から製造されています。曇り止めが標準の入組品となった1945年の規定では定数は1本です。この点、正式な文書は確認できていませんが、2本が支給本数だったという情報があります。旧型のサービス・マスクは呼気によるレンズの曇りが課題でしたので、2本が支給されていたのかもしれません。2本の支給が事実だったとして、1945年の規定で定数が1本とされているのは、サービス・マスクの面体が改修されて曇りが改善したためかもしれません。

 耐水加工具(KIT, GAS MASK, WATERPROOFING M1)です。水没などでの破損を防ぐために、防毒面を密封するためにつかいます。粘着布とホースを挟むクランプ用の金具が作業手順を示す説明書とともにキャンバス地のポーチに入っています。標準の入組品としては規定に示されていませんが、上陸や渡河などの作戦時に支給されたものと思われます。

 ライトウェイト・サービス・マスクの収容嚢に、1945年の規定にある標準の入組品を詰めた様子です。左端のポケットに入っているのが曇り止め、中央のポケットには防護合羽が2枚、右端のポケットには軟膏です。ポケットの外側にみえる茶色のボール紙の冊子状のものが眼帯です。このほかに、作戦に応じて耐水加工具、ガス検知剤などの追加支給がありました。

ここでご紹介している入組品の収容例は、先にご紹介した1945年の技術教範補遺C3で示したものと異なります。これは筆者が所有する収容嚢が1944年製造でポケットの構造が異なるためです。規定では、ポケットの左端には軟膏が入り、中央と右端のポケットには防護合羽が1枚ずつ入りますが、この収容嚢のポケットは、左端の軟膏入れが旧型(OINTMENT, PROTECTIVE, M4)のサイズでつくられており、新型(M5)が入りません。このため、規定とは異なる収納の仕方となっています。

 最後に、入組品の重量について計るとともに、リエナクトメントにおける再現について考えてみたいと思います。

 1945年の規定による標準の入組品の重量です。軟膏は中身が入っていない空き缶です。軟膏は18グラムのチューブが4本と眼軟膏が入っていましたから、ここに示した実測値(765グラム)にプラスすると、規定上の入組品の重量は約850グラム程度と考えて良いと思います。

 収容嚢に入組品を入れて重量を計ってみると、サービス・マスク(M2A2)が約3キログラム、ライトウェイト・サービス・マスクは約2.6キログラムになりました。かなりの重量です。兵士が棄てたくなる気持ちも想像できますね。

 第二次世界大戦において、防毒面は個人携行が定められた装備品ですが、米軍歩兵の再現において、防毒面を収容嚢から取り出すことは基本的にありません。リエナクトメントのレギュレーションにおいては、収容嚢を必須とする一方で、中身は不問とすることが一般的です。これは、防毒面や付属品が入手困難であること、貴重なコレクションを紛失や破損から守るという点でも、理に適っていると思います。

 収容嚢に代用品を入れて実際の重量を再現するのは、当時の兵士らの感覚を追体験するひとつの方法です。ホームセンターなどで購入可能な焼成れんが(普通れんがと呼ばれる一般的なサイズの赤レンガ)は約2.4キログラムです。ライトウェイト・サービス・マスクの重量を再現するにはよいと思います。


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