Australian Armour & Artillery Museumを再訪しました。#4

前回訪問時はオープン直前で利用できなかった射撃場と地下展示室をご紹介します。

 2015年に地下の射撃場と展示室がオープンしました。前回訪問時は、 地下の オープンが博物館を訪れた翌日で、惜しくも見学と射撃が出来なかったので、今回はリベンジです。

 地下の展示室は、小さなスペースですが、米英日独の軍装品と歩兵携行火器(小火器・重火器)が展示されています。見る限り火器類はすべて不活性処理されています。


※日の丸寄せ書きは1945年の進駐時のもので鹵獲品ではありません。

 射撃場は、区画された完全防音の一室で、インストラクターの指導の下に射撃する形です。射撃ができるのはボルトアクションライフルです(拳銃や自動銃はありません)。レンジは30メートルです。

 第二次世界大戦のライフルは、ドイツ軍のモーゼルとイギリス軍のエンフィールドで、8ミリと303をそれぞれ 10発ずつ射撃しました。肩への強い衝撃と火薬の匂いは軍用と同じパウダー量のラージボアならではです。

 右が練習で撃った22口径。左が303と8mmです。ラージボアは30メートルの距離で20発撃って真ん中にあたったのは1発だけ。残りは左上に逸れています。いわゆるがく引きだそうで…。構え方が下手なので、翌日には銃床があたった右上腕の内側に青痣ができてました。

 オーストラリア・ケアンズにある軍事博物館「Australian Armour & Artillery Museum」の再訪をご紹介しました。前回と違い、今回はゆっくりと館内を見学し、地下での射撃も体験することで充実した訪問になりました。

 前回のレポートでも書きましたが、この博物館は、ケアンズ観光では多くの人が訪れるスカイレールの隣に位置しています。個人での手配旅行であれば、スカイレール観光にあわせて訪問ができます。また、 アボリジニカルチャーパークも隣接しています。ご家族はそちらを見学している間に…というのも可能です(私は少し離れたワニ園を家族が見学している間に愉しみました)。

 コレクションが充実している博物館ですので、ケアンズを訪れた際にはぜひお立ち寄りください。

Australian Armour & Artillery Museum 公式サイト

https://www.ausarmour.com/

Australian Armour & Artillery Museumを再訪しました。#3

#3では連合軍の火砲を中心にご紹介します。

 ボフォース40mm対空砲。対空機関砲としては傑作だったようで、各国でライセンス生産されたため、連合国・枢軸国双方が同じ砲で撃ち合ったようです。ストークブラン迫撃砲と同じですね。

 50口径機関銃(ブローニングM2)を4丁載せたクアッドマウント。クアッドマウントはいくつかバージョンがあるようですが、トレーラーの形状からするとこの展示品は戦後タイプでしょうか?

 榴弾砲。155ミリと105ミリ。

ともにイギリス軍の4.2インチ迫撃砲。上の写真は展開した状態で、下の写真は専用カートに車載された状態です。砲と二脚の形状はストークブラン式迫撃砲そのものです。81ミリを107ミリにボアアップした感じですね。81ミリだとまだ歩兵が砲身・二脚・床板に分けて担いで行軍できますが、107ミリのクラスになると担ぐことも困難なので車載になるのでしょう。

米軍の37mm対戦車砲M3。防盾の形状が見慣れたものとちょっと違うようです。

 砲口カバーと弾薬箱が付いていますが、照準器とレザーケースは取り外されています。数多くの火砲コレクションのなかで、この37ミリ砲だけはレストアの過程がパネル展示されて扱いが違います。

 イギリス軍の57mm(6ポンド)対戦車砲。日系442連隊対戦車中隊が欧州戦線でグライダー歩兵に分派されたときに装備しています。37mm砲と比較すると一回り大きくて砲身も長いですね。

 収蔵されたばかりのようで案内板がなかった85ミリ野砲D-44。T-34戦車の砲を流用したもののようです。大戦末期の1945年初頭に戦場へ導入され、戦後もながく共産圏で使われたようです。

 次は射撃場のある地下をご紹介します。地下には展示室があり、主に米英独日の小火器が展示されています。

Australian Armour & Artillery Museumを再訪しました。#2

前回訪問時と比べて収蔵品が増えているだけでなく、車両の内部やエンジンが見られるようになっていたり、同型車種が新旧で比較できるようするなど、見学者に優しい展示になっていました。

 トップの画像は連合軍(米英軍)の装甲車です。手前からハーフトラック、スカウトカー、スタッグハウンドの対空砲と偵察車。

グレイハウンド。37mm砲を搭載したM8ですね。

 水陸両用輸送車アムトラック。写真で見ると大きさを感じづらいですが、目の前に立つとすごく大きいです。HBOドラマ「The Pacific」で輸送艦から紺碧の海へと発進するシーンが印象的。WW2米軍の車両では、M3軽戦車、M5牽引車と並んで好きな車両のひとつ♪

 これ、珍しいんじゃないですかね。豪軍版ユニバーサルキャリアを改修して40mm対戦車砲を搭載したタイプ。 乗員にとっては戦車装甲車と対峙するのは御免でしょうが、歩兵にとっては砲で機関銃を破壊したりと心強かったでしょうね。 

 スチュアートM3軽戦車。右が初期型、左が改修型A1。新旧隣同士で比較ができるようになっています。

 初期型はたくさん30口径機関銃が付いています。前面に1丁、左右に2丁、砲の同軸に1丁、砲塔車外に1丁の計5丁。

 それに対して改修されたA1型は車台は同じで左右の機銃ポッドを埋めたり、物入れを増設しています。

 車体後部の違いもこのように比較できます。

 改修型A1はハッチを開けて車体内部が見られるようにしています。オイルが漏れているので自走できる車両のようです。

 こちらはグラントM3中戦車のコレクション。左2両が戦車、右はM3中戦車の車台をつかって兵員輸送車に改造されたカナダ軍のカングーです。

 以下はM3中戦車の車体内部の様子です。スマートフォンで撮影したので、画角が狭く見えづらいですが…クリックすると拡大写真が出るので資料として必要な方はぜひ。

 前回訪問時には収蔵されていなかったシャーマンM4中戦車もコレクションに加わっていました。

 次は火砲類をレポートします。

Australian Armour & Artillery Museumを再訪しました。#1

オーストラリア・ケアンズの装甲大砲博物館を2018年の年始に再訪しました。収蔵品が増えていたのと前回2015年の訪問時は体験できなかったライフル射撃をしてきました。#1ではドイツ軍の兵器をご紹介します。

2015年に訪問したときのレポートはこちら。#1 #2 #3

 2年前に訪れた時と比べて収蔵品が増えてました。特にWW2ドイツ軍関係。車両と火砲が充実しています。映画『フューリー』のレプリカタイガー555号も展示されています。

ハーフトラック2車種。兵員輸送車SD.KFZ.251/1と指揮通信車250/3。

 こちらは映画でおなじみのレプリカハーフトラックとしてよく使われる チェコOT-810装甲車。

 チェコスロバキア併合でドイツ軍の装備品となった38トン戦車。

 小柄な38型駆逐戦車ヘッツァー。

 1号戦車の砲塔。 15センチ自走砲のフンメルもレストア完了次第お目見えするようです。

 WW2ドイツ軍のポータブルMG掩体。珍しいのかよくわからないけど、こういうのは戦車・装甲車より好きです。

 火砲もコレクションがかなり充実しています。ドイツ軍の車両と火砲だけで1ガレージ分あります。火砲は以下の通りです。

 対空砲の弾倉と予備バレル。兵器も属品があって機能するので、このような展示は個人的に嬉しいですね。 

 最後は第一次世界大戦時の7.58センチ迫撃砲です。迫撃砲ですが、ライフリングがあり、複座機と駐退機をもつ機構です。ストークブラン式の軽量墜発式にとってかわられました。

 次は連合軍関係の車両を中心にレポートします。

博物館に収蔵展示されているレプリカタイガー戦車が登場する映画『フューリー』は、アマゾンプライムビデオにラインナップされています。プライム会員であれば無料でご覧いただけます(2019年3月17日現在)。

Australian Armour & Artillery Museum Report #3

オーストラリア・ケアンズにある「Australian Armour & Artillery Museum」のレポート、最後(といってもたった3回だけですが…)は日本軍の大砲コレクションをご紹介します。

 コレクションと大層なことを申しましてもご覧のように五門だけですが、おおよそ古い順に並んでいます。左端から三十一年式速射砲(三一式山砲)、九二式歩兵砲(通称“大隊砲”)、九四式山砲、九四式三十七粍速射砲、右端が九一式一〇糎榴弾砲です。

 これ、ちょっと珍しくないですかね?日露戦争で活躍した三十一年式速射砲です。駐退機がない時代ですので、発砲時の反動で1発撃つたびにガラガラと大砲自身が後に下がってきます。ですので、実戦では後が少し坂になったところとか、こう配を作るなどして運用したようです。防盾もなくて、いかにも古くさい感じがグッドです!
 後に「三一式山砲」と改称されて、昭和期も制式兵器として残りました。日中戦争で動員が相次いで大砲が足りなくなると、倉庫から引っ張り出して前線に送られました。古すぎて使い方が分からない?ため、わざわざ歩兵学校から指導員を現地教育に寄こせという文書が残っています。終戦時に中国にいた日本軍の兵器引継書にも三一式山砲弾が記載されていますから、驚くなかれ、1945年の終戦まで現役だったわけです。
 で、この古くさい大砲がなぜオーストラリアにあるのか?太平洋のどこかで鹵獲されたものだった…とすると、ヒジョーに複雑な気分ですね。

 こちらは九二式歩兵砲。一個歩兵大隊で二門ずつ運用したので“大隊砲”と呼ばれました。作戦行動をとる際に大隊レベルで運用可能の火力支援があるというのは良いことのように思いますし、日本の特徴がよく出た兵器で好きなもののひとつですが、いかんせん、あまりにもチャチに見えて(さらに砲弾の命中精度があまりよくないという意味で)“大体砲”という陰口もあったそうです。70ミリの短砲身だと対戦車攻撃には非力で、特に南方戦線ではジャングル地帯で射界を確保するのも困難、分解搬送も迫撃砲に比べて労力が必要だったのではないでしょうか?


 この九二式歩兵砲は砲口が閉塞されておらず、ご覧のように閉鎖機もついたままなので、もしかしたらライブかもしれません。

 九四式山砲です。口径は75ミリ。この砲の採用により、旧式の四一式山砲は順次歩兵連隊に移管され、太平洋戦争の頃には山砲連隊は本砲を装備していたようです。

 九四式山砲を後ろから見た様子です。山本七平がルソン島でこの砲を二門率いた戦砲班の機動指揮をとったエピソードが思い出されます。

 九四式三十七粍速射砲はスルーして(すみません。写真を撮り忘れました…)、お次は九一式一〇糎榴弾砲。口径105ミリ。元はフランスのシュナイダー社が開発した砲で、初年兵教育で十榴中隊に配属された山本七平が日本軍の兵器体系のちぐはぐさに気がついたきっかけの砲ですね。

 最後に、各国の手榴弾が展示されたガラスケースにあった日本軍の手榴弾です。4つありますねぇ。右から九七式、九一式(擲弾筒兼用)、九九式(いわゆる“キスカ”型)、最後に二十三式……って、ちょっちょっとお待ちを!この写真を撮ったときはぜんぜん気がつきませんでしたが、この左端の手榴弾はコレクターの間で幻の品とも言われる(?)「二三式手榴弾」ですね。元々は日本軍のものではなく中国軍(蒋介石軍)が採用した手榴弾で、中華民国暦23年=1934年制式のものです。
 日中戦争で日本軍は中国軍から大量に鹵獲した兵器を日本軍の装備として再支給しています。制度的には準制式の手続きをとって制式兵器に準じる形で採用したものと、そのような手続きを経ずに現地裁量?で「代用兵器」として利用した二通りがあります。この二三式手榴弾は、終戦時に中国・朝鮮にいた部隊の兵器引継書に「二三式手榴弾」とありますので(代用兵器の場合は「代用手榴弾」と記載)、おそらく準制式の手続きがとられたのではないかと思います。
 南方戦線に派遣された部隊にもかなりの量が支給されていたようで、米軍の教範にも日本軍の手榴弾として紹介があります。ですから、このように日本軍の手榴弾として紹介するのは“当たらずと雖も遠からず”といったところでしょうか。

というわけで、オーストラリア・ケアンズにある軍事博物館「Australian Armour & Artillery Museum」をざっくりとご紹介しました。館内の滞在時間が約20分程度だったので、見落としたものも多いかと思います。ケアンズに行かれる際はぜひお立ち寄りください(スカイレール観光のついでならばご家族の理解も得られやすいですし)。

大ベストセラー『ユダヤ人と日本人』で知られる山本七平は、戦前に砲兵将校としてフィリピン戦線に従軍しています。この本では山本が入営前から終戦、帰国にいたるまで、日本軍で体験した様々な経験が独特の目線で綴られています。日本軍=日本社会の縮図がよくわかる、類を見ない良書だと思います。