WWII 米軍 地上戦用 6×30 双眼鏡 #2

米軍6×30双眼鏡は、元になったボシュロム社製の民生品をベースに、米軍では陸軍と海兵隊向けに、英連邦向けでも、同じ形状で、しかし、すべて別の型番で製造がされました。今回は、購入の目安になる、各モデルの刻印面を中心に紹介します。

 ここで地上戦用の米軍6×30双眼鏡について、型番・製造年・製造メーカーをまとめておきます。

・M3/1941年/ボシュロム社【最初期のモデル】
・M3/1942年~1944年/ナッシュケルビネーター社、ウェスティングハウス社【大量生産されたオーソドックスなモデル】
・M8/1942年/ボシュロム社【型番をM3→M8に変更】
・M9/1942年~/ユニバーサルカメラ社【海兵隊向け】
・M13/1943年~1945年/ ナッシュケルビネーター社、ウェスティングハウス社【M3の防水機能等を向上させた改良モデル】
・M13A1/1945年~/各社(米国以外の第三国でも製造)【M13の改良モデル】

※このほか英連邦向けにM6/M12が存在します。

 6×30双眼鏡では、主に両接眼部側のプレートに型番や製造メーカー等が刻印(白インク塗布)されており、それがモデルを区別する目安になります。以下ではイラストでそれぞれを示します。

ボシュロム社が1941年に製造した最初期のモデルです。型番「M3」の刻印はありません。右側上部に「U.S.ARMY」の刻印があり、その下にシリアルナンバーの刻印があります。シリアルナンバーは概ね4桁です。

ボシュロム社が1941年~1942年に製造したモデルです。1942年から他社で大量生産が始まった量産型M3と互換性がないことから、型番を「M8」に変更しました。左側上部に「M8」の刻印が追加されています。シリアルナンバーは概ね5桁です。

 1942年以降に大量生産がされ、現在のコレクター市場でもっとも多く見られるモデルです。左側に「M3」の刻印があり、右側には製造メーカー名・製造年の刻印があります。「U.S.ARMY」の刻印はありません。このイラストは、 ナッシュケルビネーター社が1942年に製造したモデルを示しています。シリアルナンバーは前面のヒンジ部に記されています。

 同じく 1942年以降に大量生産がされ、現在のコレクター市場でもっとも多く見られるモデルです。 このイラストは、 ウェスティングハウス社 が1943年に製造したモデルを示しています。

 米海兵隊向けにユニバーサルカメラ社が製造したモデルです。形状・レティクルともに陸軍向けM3と同型ですが、型番は「M9」です。刻印はかなりバリエーションがあります。このイラストでは「USMC」とシリアルナンバー、型番「M9」が入っていますが、いずれか欠けている例があります。右側は製造メーカーであるユニバーサルカメラ社の刻印があります。製造年の刻印があるものとないものがあるようです。

 ユニバーサルカメラ社が製造し、英連邦向けに納入したモデルです。M3と同型ですが、米軍が左眼にレティクルが入るのに対して、英連邦向けは右眼にレティクルが入ります。型番は「M6」です。型番の刻印がないものもあるようです。

 M3の防水性能を向上させた改良モデルです。1943年から製造が開始されたようです。左側に型番の「M13」、右側に製造メーカーと製造年の刻印があります。「U.S.ARMY」の刻印はありません。シリアルナンバーは量産型M3と同様に前面のヒンジ部に記されています。

 M13の改良モデルです。1945年から製造が開始されたと思われます。左側に型番である「M13A1」の刻印があり、右側には製造メーカーの刻印があるものとないものがあります。M13以降、異なる製造メーカーのものでも部品の共通化が図られたこと、M13A1では、米国以外の第三国(日本を含む)でライセンス生産されたことが関係しているのかもしれません。

 M3と同型で、製造メーカー・製造年の刻印がなく、右側に「U.S.ARMY」「M-3」の刻印があるモデルです。左側の「6×30」の刻印形状からすると、ボシュロム社が初期に製造したモデルをオーバーホールしたものではないかと思われます。

 上記で紹介した刻印例は、全てを網羅するものではありません。 上記以外のバリエーションのものも存在します。 また、プレートは交換部品として存在しますので、付け替えも可能です。 ゆえに真贋の確実な区別を約束するものではありません。あくまでも目安として参考にしてください。縁あって自分の手元にきた品の素性を推測するのは趣味ならではの愉しい作業です。

WWII 米軍 地上戦用 6×30 双眼鏡 #1

歩兵が携行する双眼鏡として各国で最もメジャーな倍率6×30。WWII米軍では5つの型番のモデルが地上戦用として採用されましたが、どれも外観はほとんど同じです。

 WW2米軍では、旧式のEE型にかわる6×30双眼鏡として、M3・M8・M9・M13・M13A1を地上戦用として採用しています。このうち、M3・M8・M9は元となった民生品が同じモデルですので、外観は同じで刻印のみが異なります。また、イギリスはM3を元に米国とカナダのメーカーに発注して納入を受けています。型番は米軍向けのものとは区別されていますが、やはり外観は同じです。そして、米軍はM3の改良型として、M13・M13A1を採用します。やはり外観は非常に似ています。

 第二次世界大戦の開戦時に米軍は約10万台の旧式EE型双眼鏡を保有していましたが、戦時兵力に対して約35万台の新型双眼鏡の調達が必要と見積もられました。米軍はボシュロム社が製造販売していた民生品の6×30双眼鏡を軍用として採用することとして、約2万台を発注します。1941年のことです。これが後に35万台近く(イギリス軍向けの同型品を含めると40万台以上)が生産されることになったM3です。

教範に掲載されたボシュロム社製M3のイラスト

 次いで、戦時体制下の大量生産のため、米軍はナッシュケルビネーター社とウェスティングハウス社をM3の製造会社に指定します。ボシュロム社をより高度な光学部品のサプライヤーとして維持するため、また、早期の量産体制を整えるためにも、M3双眼鏡の量産を他社に振り向ける必要があったからのようです。

  ナッシュケルビネーターとウェスティングハウスの両社は、1942年にM3双眼鏡の製造をスタートし、1944年までの間に約32万台弱のM3双眼鏡を製造します。コレクター市場で最も多く見られる双眼鏡M3は、この両社が生産したタイプです。

 最初期のボシュロム社製M3は、後に他社が製造したM3と部品の互換性がありませんでした。そこでボシュロム社製M3はM8として区分されることになりました。この区分がいつおこなわれたのかは不明ですが、複数社でM3の大規模生産がスタートする1942年からではないかと思います。 結果としてボシュロム社が米軍向けに納入した6×30双眼鏡は、最初期のM3と、その後にM8として区別することになったモデルを合わせて、1941・42年に製造された2万台弱にとどまるようです。

 なお、双眼鏡を早期に大量整備する必要は英連邦も同様で、イギリスはM3と同型のモデルをウォレンザック社とユニバーサルカメラ社に発注し、これはM6としてイギリス軍向けに納入されました。また、同じくM3をベースにカナダのリサーチエンタープライズ社が製造したモデルはM12として同様にイギリス軍に納入されました。

 ところで、軍用双眼鏡としてM3が採用されたとき、元の民生品に対して追加されたのが距離を目測するためのレティクルです。左がM3のレティクル、右が旧モデルEE型のレティクルです。M3のレティクルを実際に撮影したものが下の写真です。米軍の地上戦用として納入されたものはすべてこれらのレティクルが左眼に入ります(ただし、戦争直後に放出された際には、レティクルが外されたといいます)。

M3のレティクル

 これに対し、英連邦軍向けのレティクルは右眼に入ります。レティクルの目盛りもEE型に似て横方向のスケールだけが縦線で入ったシンプルなものです。

 米軍の6×30双眼鏡は陸軍向けだけではなく、海兵隊向けにも存在します。米海兵隊は1942年にイギリス軍向けにM6を製造していたユニバーサルカメラ社に対して6×30双眼鏡を発注し、これはM9として採用されました。レティクルは別会社の製造で、陸軍向けと同じ左眼の十字型ですから、M3とほとんど変わりはありません。刻印の違いだけと言っていいと思います。M9は1942年から1943年の間に約3万台が製造されました。

海兵隊向けM9

 M3で弱点だった防水の改良を行い採用されたのがM13です。M13ですべての製造メーカーの部品共通化が実現したそうです。コレクター市場を見る限り、1944年製のM3と1943年製のM13が存在しているので、M3と改良型M13は並行生産されていたことがうかがえます。その後、M13はM13A1へ改良されます。M13A1が製造された詳しい時期は不明ですが、1945年以降の製造と考えられています。

改良型M13

 WWII時期の双眼鏡ケースは、米軍向けのM3・M8・M9・M13・M13A1いずれも同じ型のレザーケースです。型式はM17。形状はすべて同じですが、製造メーカー名の刻印など多少の違いがあるようです。双眼鏡はケースとセットで納入されたようです。

 レザーケースはOD色に塗られたものがあります。もともとOD色で生産されたものではなく、プラスチック製のM62が採用された時期に塗色で行われたのではないかと思います。

 米軍6×30双眼鏡は、元になったボシュロム社製の民生品をベースに、米軍では陸軍と海兵隊向けに、英連邦向けでも、同じ形状で、しかし、すべて別の型番で製造がされたため、コレクター市場でも混乱があります。結果としてコレクションやリエナクトの対象外となるものを購入してしまうこともあると思います。次の記事では、皆さんの購入の目安になるように、各モデルについて刻印面を中心に紹介したいと思います。

M72 ロケットランチャーのレティクルを再生する

1960年代に米軍で採用された使い捨ての対戦車ロケット弾。放出品で破損・亡失していることが多いレティクル(照準板)を再生しました。

 M72ロケットランチャーを展開した様子です。グラスファイバーとアルミで出来た筒内に、66mm HEAT弾を1発収納しました。手元にあるのは比較的入手が容易なA2型(ベトナム戦争後の型式)。とはいえ、最近は状態のよいモノも少なくなってきました。

 ところで、フロントサイトの中身がありません。レティクル(照準線及び距離計)が印刷されている透明なプラスティック製のものです。ロケットランチャーの本体がそもそも使い捨てを目的にしていますから、もともとのつくりもラフなうえ、ロケット発射後の砲筒はぶん投げ捨てられるので、演習で使用済みの放出品として民間へ払い下げされた時点でパーツの欠品が少なくありません。

 レティクル板は、フロントサイトの枠にはめて、下部をポケット部に差し込み、2箇所のネジとバネで螺着、上部は接着剤で固定するようになっています。写真はポケット部に残っていたレティクル板の残骸です。ちょうど向かって左下の部分ですね。このように、残骸だけが残っている状態が多いようです。

 海外でも事情は同じらしく、レプリカも売られています。出来は非常に良いのですが…ここはやはり自作してみようと思います。

 図面はパソコンで比較的カンタンに作成できますし、アクリルの加工も最近は同人系のオリジナルキーホルダーの需要が多いらしく、手頃に利用できるからです。アクリルをつかったキーホルダーでは、一般的に3ミリ厚の透明板が利用されるようです。ちょうどレティクル板も3ミリ厚なのでちょうど良いですね。

 左が手元にあるM72A2 LAWのフロントサイトに残っていた残骸、右がその残骸を元に画像上で再現したものです。フロントサイトのサイズと、ポケット部に残った残骸を元に、レティクル板の大きさを決めます。カットラインと板面に印刷するレティクルの表示内容を、デザイン編集用のソフトウェア(Adobe Illustrator)をつかって図面に起こしていきます。

 こちらがデータで起こしたものです。アクリルの場合、片面印刷は裏側からなので、レティクル板の表示は左右反転させています。業者への発注に三次元のCADのデータは不要で、アクリル材から切り出すカットラインとレティクル板に表示される印刷内容を示す平面図のみで対応可能となっています。ようは設計図というよりも、印刷用のDTPデータを入稿する形ですね。データ形式もベクトルデータが一般的ですが、ビッドマップでも入稿可能な業者さんもいるので、極端なことを言えば、パソコンに付属のお絵かきソフトでも出来ないことはありません。

 発注段階で厄介な課題が出てきました。現在、一般的に行われているアクリルへの印刷とカッティング方法だと図面通りの製作が難しいとのこと。具体的には、レティクルの十字部分が両端に近接していますが、基本的にフチなしの印刷はできず、カットラインからおよそ2ミリの余白をとる必要があります。数社さんに打診したところ断られてしまい、カットは自分で行うこととして、余白を付けたママで納品してもらうことにしました。

 業者から納品された状態の写真がなく、いきなり完成写真ですが…こちらが再生した自作レティクルを取り付けた様子です。余白ありの印刷済みアクリル板をアクリルカッターで切断し、切断面はヤスリがけで処理しました。不器用なもので切断に失敗し、6枚分を納品してもらったのに生き残ったのは2枚だけ。1枚はヤフオクに出品したM72A2に付けたので、手元に残るのは装着済みのこの1枚だけになります。おそらくレプリカと言われなければ、そうとは分からない出来だと思います。

八九式重擲筒用試製照準子

筒身を45度の角度で正確に保持するのは可能だけど、いろいろ難しかったのでしょうね。

 日本軍の擲弾筒は砲架を持たない軽迫撃砲で、筒身を手で斜めに保持し、榴弾を砲口から装填して発射します。砲架がないため軽量で携行性に優れ、砲の運用を兵士一名でも可能にしたという点で非常に優れた兵器といえそうです。対日開戦後に米軍が急遽、60ミリ迫撃砲の擲弾筒的運用を真似たのもそれを証明しているといえます(→「日本軍を真似た…が、上手くいかなかった?米軍60ミリ迫撃砲“ONE MAN MORTAR METHOD”」

 日本軍の擲弾筒には手元にある撃針位置を上下にずらすことで射程を調節できる機構が付いていました。射撃時は斜め45度の角度で保持し、撃針位置で射程を変えるわけです。しかし、手で 45度の角度を正確に保持するのは可能ではあっても実用上は困難があったのでしょう。 1941年に採用された試製照準子の存在がそのことを示しています。

  試製照準子は「八九式重擲筒ニ取付ケ筒ニ四十五度ノ射角ヲ付与スルノ用ニ供ス」もので、螺着式のバンドで筒身に取り付ける指針型の水準器です。 この図面は防衛研究所が所蔵している現地改修のための取扱説明書に収録されているものです。筒身に穴をあけてネジ留めし、バンド部を締めて取り付けます。

 このようにバンド部には筒身の方向照準線に合わせるための溝切りがなされ、赤色のペイントもされています。 45度の発射角度に合わせることができるように小窓の夜光塗線に中のゲージを合わせるようになっています。小窓はベークライト製で、内部のゲージは傾斜角度によって動き、45度の位置で停止します。

 筒身を仰角45度に保つのは訓練で習得はできます。しかし、夜間の暗闇下で目視確認ができない場合に45度を保つコツは熟練していないと相当に難しいでしょう。ゲージに夜光塗線が採用されているのがその証です。また、日中であっても火線下ではゲージがあるとないとでは心理的にも違う気がします(焦って平常心じゃない時こそ役立つ)。 

 「試製」の名称ですが、現存する史料では1941年に陸軍兵器本部長宛で三万個の調達が指示されています(→アジア歴史資料センター「Ref:
C04123065200」
)。調達数からも全軍配備といえると思います。1942年には「八九式重擲弾筒用試製照準子説明書」として、現地で改修が可能なように作業手順も含めた取扱説明書も発行されています(この説明書は防衛研究所に所蔵されています)。

 試製照準子の普及率については史料未見のためにわかりません。ただ、米軍が戦地から持ち帰った擲弾筒が不活性処理されてコレクションとして市場に出ており、これまでオンラインで販売されてきたものを見る限りでは、試製照準子が付いているものは半数を下回る割合、およそ3割程度という印象があります。

こちらでご紹介した試製照準子付きの八九式重擲弾筒(初期型)はヤフオクに出品中で。米国で無可動処理がされた里帰り品で、 柄桿外被や砲向照準線のペイントも残る状態が良いものです。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/355876147

ヤフオク!マイオークション