WW2米軍の手榴弾Mk2。鋳鉄製の弾体に使用済み信管をつけたお土産品からはじまり、プラスチック製の1/1プラモデルやBB弾入れまで、様々なレプリカ商品が存在します。しかし残念ながら、再現度でパーフェクトなもの、否、及第点に達しているといえるものも、国内で見たことがありません。
Mk2手榴弾は、米国においては1918年から1960年代までおよそ半世紀にわたってつかい続けられており、その間に改良や戦時体制による変更が繰り返されてきました。戦後日本では、米国から自衛隊へ兵器の供与があったこともあり、Mk2手榴弾は馴染みのあるものですが、放出品や訓練用のダミーとして流通するものは戦後のものばかりです。レプリカ商品にはWW2時代を再現したものは見かけません。
そこで今回は、リエナクトメントにおける再現の参考になるように、Mk2手榴弾について、その変遷も含めてご紹介したいと思います。記事は3回にわけて掲載します。第1回目は弾体の変遷について、第2回目は信管の変遷についてみていきます。まとめとして、第3回目の記事で、WW2時代の再現にふさわしいMk2手榴弾についてご紹介します。
1918年発行の教範に掲載されている手榴弾の写真です。左端が最初期のMk2手榴弾です。Mk2手榴弾は、鋳造の鉄製弾体に破片の切れ込みが入った“パイナップル”と呼ばれるスタイルそのものは不変ですが、信管・レバー・弾体には変遷があり、シルエットもかなり異なります。
同じく1918年に発行された教範に掲載のMk2手榴弾信管部の構成部品です。わっか状の安全ピンを抜くとレバーが外れ、内部のスプリングが回転してストライカーで雷管を叩き、火管に点火する仕組みです。基本的な構成はかわりませんが、信管本体とレバー形状は改良が加えられて変更されます。
1940年には、弾体はこのようなシルエットになりました。初期型のMk2と比較してスマートになり、破片の切り込み形状も小さく、破片の数が増えています。破片断面数は8条です。信管とレバーの形状も変更されています。このモデルが大戦型のMk2手榴弾として最もオーソドックスなものですが、この外観を忠実に再現したものが、国内には流通していません。
弾体の構造にも変化がありました。左が1942年に発行の手榴弾教範に掲載されているイラスト、右が1943年に発行の技術教範に掲載されているイラストです。底穴とプラグが廃止され、密閉された状態に変更されています。戦争が始まってから構造の単純化と生産工程の変更により、炸薬の充填が底からではなく、信管口からとなったからです。
銃後でMk2手榴弾を製造している風景です。信管の螺着穴から計量した炸薬をつめています。炸薬が白くみえるので、後述するように1944年から製造が再開されたTNTタイプの改良型でしょう。
筆者が所有するMk2手榴弾のプラクティス(演習弾)です。弾体の底部に演習用の火薬を詰めるための穴が開いていますが、弾体の形状そのものは榴弾と同じです。というのも、戦争が始まってから底部の穴が空いた旧型の弾体は、プラクティスに流用されたからです。
なお、1942年時点の塗色規定では、弾体は実弾が従来の黄色からODに、演習弾は水色に、訓練用のダミーは黒で塗色されるようになっています。塗色については、第3回目の記事でご紹介します。
ところで、Mk2手榴弾には、炸薬が無煙火薬のタイプと、TNTのタイプの2種類がありました。TNTのタイプは限定標準装備で、第二次世界大戦が始まった時点ではすでに在庫は払拭しており、戦地には無煙火薬のタイプが送られました。炸薬はわずかに20グラムです。南方戦線で米軍と戦った日本兵の回想で、米軍の手榴弾は威力が弱く、米兵は日本軍の手榴弾を恐れていたという記述があります。日本軍の九七式手榴弾の炸薬はTNTが57グラムです。自軍の手榴弾の威力不足に痛感したのでしょう。米軍は戦争中に炸薬をTNTに変更し、填薬量も54グラムに倍増させた改良型を生産します。1944年のことです。
これが炸薬をTNTにした改良型のMk2です。開戦前の旧型TNTタイプは、信管を分離して梱包していましたが、この改良型は無煙火薬タイプと同様に、信管を装着したまま梱包できるようになりました。
従来の無煙火薬タイプ(左)と改良型のTNTタイプ(右)を比較すると、弾体の形状が異なることがわかります。改良型Mk2では、破片の数は同じですが、段差がより深くなっています。
戦後に軍需部が作成したMk2手榴弾の弾体設計図面です。破片断面の数は8条で変更ありませんが、弾体の径は57.4mm(+約6mm)、高さ90.5mm(約+5mm)と大きくなっています(括弧内は無煙火薬タイプの旧型弾体を実測した値との比較)。改良型TNTタイプは、在庫がある旧型弾体を使用しつつ、新型に移行していきました。弾体の大きさに違いがあるのはそれが理由です。
なお、図面には、弾体の破片断面に、製造業者を識別するためのイニシャルまたはシンボルマークを鋳型でつける指示があります。このイニシャルやシンボルマークは、実物の真贋判別で、海外のコレクターの間で重視されていますが、筆者はこの識別記号がいつからおこなわれていたか、どのような記号が存在したかについては定かではありません。不見識ではありますが、リエナクトメントにおける再現としては、あまり重視する必要はないと考えます。
戦後の1960年代の教範に掲載されているMk2手榴弾のイラストです。現在、国内で流通しているレプリカやダミーは、ほぼすべて、この破片段差が深くなった戦後弾体を原型としています。
次の 記事では、信管についてご紹介します。
最後にクイズです。どちらが実物でしょうか?