37mm対空砲M1 照準機用スコープ

照準機に2本のスコープを取り付けて使用します。戦後は自衛隊に供与され、ハーフトラックタイプの自走砲M15でもつかわれました。

本記事は、過去に公開した記事に加筆修正したものです。修正内容が多いため、新たに掲載しなおします。

 このスコープは、37mm砲と50口径機関銃2丁を組み合わせた対空砲M1の照準機に使用します。照準機は、初期のM2からはじまり、戦争中にM5、M6へと改良されています。

 こちらが初期の照準機M2です。スコープの型式はM7。M2照準機では、方位角(Azimuth)と仰角(Elevation)にそれぞれ同じスコープを1本ずつ使用します。

 M7スコープのレティクルはシンプルで十字のみです。

 新型の照準機M5、M6では、スコープM64が仰角側に採用されています。左が従来のM7、右が目盛りが追加されたM64です。

 M7とM64は、筐体のみ同じでレティクルが異なるだけです。M7のレンズを目盛り付きのものに交換してM64に更新したものも存在したのではないかと考えます。

 スコープの金属製収容箱です。2本ともレティクルに目盛りがないM7です。初期のM2照準機用です。収容箱は2本セットで入るようになっています。取り付け金具と思われる金属製のプレート1本が付属しています。

 照準機のスコープは破損防止のため、展開時以外はこのような収容箱に保管携行されました。各国軍ともに、砲が敵に奪取される恐れがある場合は最初に撤去または破壊するのはスコープです。

 スコープにはレザーキャップとラバーキャップが付属しています。レザーキャップは保管時の破損防止です。ラバーキャップはレンズに光が入って照準に支障をきたさないようにする遮光用と思われます。M7スコープは接眼部から最大で約11センチ離れたところから照準できるようになっています。

 37mm対空砲M1は1939年に採用され、米陸軍の対空自動砲大隊に配備されて第二次世界大戦を迎えます。一方で、米陸軍はその優秀さゆえに世界各国で採用された40mmボフォース機関砲を導入し、M1と交代させます。M1の威力不足が原因と言われますが、初速や射程など、37mmと40mmの性能差はスペック上は近似していますから、実際の運用面、例えば次弾の装填や照準と算定の機構がより優れているなどの理由があったものと思われます。

 牽引砲としてより良いボフォース機関砲が導入されると、37mm砲M1は装甲車の車載砲に転換されます。ハーフトラックの荷台に37mm砲と2丁の50口径機関銃を搭載したM15は、機械化部隊に随伴可能な自走砲として配備されました。「Multiple Gun Motor Carriage」という名称が示すように、対空防衛だけでなく、対地攻撃も対応するものです。M15は戦後日本にも供与され、高射特科の主力として長く装備されていたそうです。

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