アモカンのマーキングはいらんのや。

金属缶の表面にある黄色のマーキング。缶に詰められた弾薬の種類とロットナンバーです。WWIIから戦後まで黄色のスタンプです。でも、再現する必要はないです。

 対テロ戦争が始まる前は、軍からの放出品も緩やかで、弾薬種別のマーキングなどは残ったままでした。近年はすべて塗りつぶされて「EMPTY」と書かれているようです。事故防止の目的もあるのでしょう。このマーキングは、第二次世界大戦で登場し、戦後もずっと継承されています。

 M1アモカン(Ammunition Box M1)のスタンプは、三行にわたり記載されていることが一般的です。最初に「弾数」「口径」、一段改行して「装填種別」「弾薬種別」、一段改行して「ロットナンバー」です。「弾数」と「口径」は、ほとんどの場合「250 CAL. .30」の表記になります。これはM1アモカンのほとんどが30口径機関銃の弾薬箱として、250発のキャンバスベルトが入った状態で工場から出荷されたためです。

 

 不勉強だった4年ほど前に、黄色のマーキングを再現したときの様子です。カッティング・プロッターでつくったマスキングシートを貼り、その上からペンキでマーキングを再現しました。たしか、状態のよい缶を選んだと思います。無知って怖いですね。

 1942年発行の小火器弾薬教範(TM 9-1990)に掲載されているM1アモカンのイラストです。M1アモカンが登場して間もないころのイラストです。マーキング…ないですね。初期はなかったんですかね。戦争後期ですかね。当時の戦場写真を見てみます。

 1944年12月、ドイツのラインランドに攻め込んだ米軍の重機関銃チームです。射撃中です。曳火弾がビームのように写っています。たくさんのM1アモカンが散乱しています。マーキング…まだ?ないみたいですね。

 前の写真から三ヶ月後の1945年2月に撮影された写真です。硫黄島における米海兵隊の重機関銃チームです。すごい量の撃ち殻です。アモカンもたくさん転がっています。マーキングは…やっぱりなさそうですね。

 なぜ、当時の記録写真で、アモカンのマーキングが撮影されていないかの理由は単純です。アモカンへのマーキングが指定されるのは、だいぶ遅かったからです。

 1943年1月に、小火器弾薬技術教範の補遺C2が発行されています。補遺とは、本冊の再発行までの間に告知すべき追加訂正事項を記した小冊子です。ここでM1アモカンは、50口径用のM2アモカンとともに、“Expendable steel box”、使い捨て金属缶として定義されています。そして、赤の下線部にあるように、明確にマーキングは、“なし”とあります。マーキングは、アモカンを梱包する木枠(Wire-bound crate)に記して出荷するとあります。

M1アモカンは4缶を梱包した1000発の木製クレートで戦地へ出荷されました。木製クレートの再現レポートはこちらをご覧ください。「30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #3」

 それでは、アモカンへのマーキングはいつからはじまったのでしょうか?正確な日時は不明ですが、1945年1月発行の弾薬技術教範(TM 9-1900)に、アモカンへのマーキング指定があります。1943年初頭から1944年末までの二年間の間に、アモカンへのマーキングの扱いが変更されたことは確かです。この点、教範の発行リストによると、小火器弾薬技術教範の補遺は、1943年5月に発行されたC3までで、この補遺にはアモカンのマーキング変更は含まれていません。ゆえに、教範でアモカンへのマーキングが指定されたのは、1945年1月発行の弾薬技術教範からとみてよいと思います。

 弾薬は、民間業者から納入された金属缶に、本土にある各軍需部(Ordnance)が弾薬を詰めて、木枠で梱包して戦地へ出荷します。アモカンへのマーキングは、軍需総監部で決定後、すぐに対応されたと思われますが、すでにマーキングなしで出荷された在庫が戦地にはありますから、実際にマーキングのあるアモカンが兵士の手にわたるまでには、それなりのタイムラグがあったと思われます。

 第二次世界大戦の再現であれば、アモカンへのマーキングは、“なし”がよいと思います。

 なお、当初、アモカンへのマーキング指定がなかった理由ですが、防諜目的ではないかと思います。使い捨てが前提だからです。しかし、戦地の実態にあわないことから、マーキングがされることになったのであろうと思います。アモカンは梱包を解いてしまえば、4缶がバラバラに搬出され、外観からは中身がなにか判別できません。アモカンはODの偽装塗色がされていますから、暗闇ではなおさら確認が困難です。誤って曳火弾をつかい自軍の位置を暴露してしまうなど、マーキングがないことが原因で事故が発生した可能性もあります。

 かつて再現したマーキングです。左はペンキ、右はカッティングシールです。右は剥がせますが、左は薬剤で消さなければいけません。下地のOD塗装も消えるでしょうから全塗装ですね。

弾薬補給のイノベーション“Ammunition box M1”

1942年後半に機関銃向けに採用された金属缶方式は、従来の弾薬補給が抱えていた課題の多くを解決しました。まさにイノベーションといえます。事実、この補給方式は現代にいたるまで踏襲されています。

 米軍歩兵部隊での30口径機関銃の弾薬補給は、長らく小銃弾薬と共通の木箱(”Packing box M1917″)によって行われてきました。

 左のイラストがその木箱です。紙製のカートンに個別包装された計1500発の30口径弾(30-06弾)が梱包されていました。この木箱を開梱して取り出した弾を、右のイラストの装弾器を使用して機関銃用の弾帯にします。キャンバス製のベルトに弾を押し込んで、250発の弾帯をつくります。 250発の弾帯は、属品としての木製弾薬箱(”Ammunition Chest”)に収納されます。

 しかし、米国が第二次世界大戦へ本格参戦すると、この従来の方式は改善が必要となりました。戦地で機関銃の弾帯をつくるよりも工場出荷段階で弾帯状にしたほうが効率が良いからです。そこで当初は、カートンにかわって250発の弾帯を梱包した木箱が出荷されました。しかし、まもなく金属缶(”Ammunition box M1″)に移行しました。

 技術教範(”TM 9-1990″)に掲載された金属缶とその梱包です。1缶に250発の弾帯を収納した金属缶4缶を木枠で梱包した1000発で弾薬補給ができる方式です。金属缶は取っ手のついた蓋がラッチで開閉できる仕組みで、ガスケットにより密封されていたため、防水性能がありました。

以前に金属缶の木枠梱包を再現しています。記事はこちら。
30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #3

 この金属缶方式は、梱包を解いて金属缶を手にそのまま作戦に搬出でき、蓋を開けてすぐに機関銃へ装弾が可能な点で非常に優れた方式でした。前線において装弾器による弾帯づくりと、弾薬箱への弾の入れ替えという2つの作業を省略したうえ、軽量化と防水も実現したのです。金属缶”Ammunition box M1″の登場は、まさにイノベーションといえます。事実、この補給方式は現代にいたるまで踏襲されています。

戦後の新型金属缶M19A1の梱包。第二次大戦当時のM1で採用された方式を踏襲している。

 金属缶が採用された正確な時期はわかりませんが、1942年5月発行の技術教範「小火器弾薬」(”TM 9-1990″)の本冊及び同年9月発行の追補版(”C1″)には記載がないものの、同年11月に編纂された軍需学校教範(”OS 9-18″)には、従来の木箱にかわり金属缶が開発された旨の記載があることから、1942年後半には採用され、1943年以降には戦地へ出荷されていたと思われます。そして、金属缶への移行は、スムーズに行われたと思われます。

金属缶(左手前)と従来の木製弾薬箱(右奥)。大きさは一回り違い、重さも木製弾薬箱が約2.3kgであるのに対して金属缶は約1.5kgと軽量です。

 これは、戦地の兵隊の身になって考えてみるとわかりやすいと思います。仮にあなたが機関銃チームの一員であったとしたら、木製で重く嵩張り、弾帯が1本しか入らない木製弾薬箱はすぐに武器係に返納して、軽く防水性に優れた金属缶を携行するでしょう。金属缶は使い捨て”expendable”と規定されていますが、棄てずに弾薬箱として再利用することも可能です。そのうえ、員数管理が不要であることは、戦地の兵士には歓迎されたはずです。弾薬箱以外の用途――壕の雨水出しや簡易便器、調理器具など――に使うことも可能だからです。第二次大戦をテーマにした映画やドラマでは、兵士らが金属缶を調理器具としてつかうシーンが見られますが、これはフィクションなどではなく、員数管理がされない使い捨て金属缶ならではの用途と言えます。

 金属缶への移行がスムーズだったと思われる根拠は教範にも見られます。1943年6月発行の水冷式機関銃M1917の備品カタログでは、従来の木製弾薬箱”Chest, Ammunition, 49-1-84″は削除され、かわりに金属缶”Ammunition box M1″が備品として掲載されています。1943年半ば以降の歩兵用機関銃チームを再現するならば、金属缶を装備するのが良いでしょう。

30口径機関銃用弾薬箱。日本語ではぜんぶ「箱」と読んでいますが。

WWII 米軍30口径機関銃用の弾薬箱。Ammunition“Chest”と“Box”と二通りの言い方があります。区別する理由は?今昔?形状?用途の違いでした。

 ブローニングM1919機関銃の属品を集めていたら弾薬箱もだいぶ揃ってきました。トップの写真は、いずれも30口径機関銃用としてつかわれた弾薬箱です。手前の右から順に、250発木製弾薬箱、200発車載用金属缶T4、250発金属缶M1、同M1A1、同M2(同盟国生産品)、最後が戦後のM19A1。これで全てではなく、あとは駄載用などの数種類があります。

 木製弾薬箱は水冷式機関銃M1917とともに採用された古いもので、後に若干つくりが簡略化されています。写真の左が初期型、右が簡略化されたものです。木製弾薬箱はM1917という言い方もされますが、軍の正式な名称としては「Ammunition Chest」型番は「49-1-84」です。

 さて、これらは日本語ではすべて「弾薬箱」と呼びますが、 英語の表記では「Ammunition Chest」と「Ammunition Box」と区別されています。トップの写真にある弾薬箱の並びで言うと、右から2つ、木製弾薬箱と金属缶T4までは「Ammunition Chest」で、250発用の金属缶M1以降は「Ammunition Box」です。

 この区別は機能の違いに由来しています。 弾薬を詰め替えして繰り返し使う弾薬箱、いわば兵器の属品として扱われるものが「Chest」で、再利用を考慮しない弾薬箱が「Box」です。日本軍でいう「弾薬箱」と「補給用弾薬箱」の区別と同じといえます。

 これは弾薬教範に掲載されているイラストです。地上戦用の30口径弾薬は、初期は左の1500発入り木箱で支給されていました。この木箱は「Box」です。 戦地で兵士が「Box」の木箱を開梱し、中から弾薬を取り出して「Chest」の 弾薬箱に詰め替えて作戦に出発しました。

 1942年に金属缶のM1が採用されて右のような梱包に改められました。250発入り金属缶4つ、計1000発の木枠梱包です。これは金属缶を「Box」、木枠を「Crate」と呼びます。この方式は木枠を開梱したら、そのまま金属缶を持ち出せるためにとても効率的で(防水防滴機能もあります)、現代に至るまでこの方式が踏襲されています。

以前に金属缶M1用の木枠梱包を再現しています。記事はこちら。
30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #3

 金属缶M1は「Box」ですが、そのまま作戦に搬出できるので、「Chest」型弾薬箱に詰め替えが不要です。 金属缶が「Box」であると同時に「Chest」としての機能も果たすようになったわけです。これ以降、30口径機関銃用の「Chest」は存在価値を失います。実際に金属缶M1が登場して以降、歩兵の軽機関銃に使用する「Chest」は属品として存在していないと思います。

 50口径重機関銃も似た状況ですが、一部で「Chest」は残っています。対空マウントで四連装の機関銃に装弾する“墓型”弾薬箱です。

機関銃には耐熱手袋が必要ですね。

耐熱手袋。機関銃チームのリエナクト時には持っていたいアイテムですが、なかなかお目にかかれません。

 故リーアーメイさんが司会をやってた銃番組でおこなわれた水冷式M1917と空冷式M1919の放熱比較をYouTubeで見ることができます。

 撮影地が砂漠なので気温が摂氏40度ありますが、100発射撃後の放熱筒表面温度は、水冷式M1917がわずかにプラス10度に対して空冷式M1919はプラス70度です。コックオフを起こさないためにも、銃身交換による冷却が必要です。

 銃身交換は、危急時の連続射撃時にこそ必要ですが、そのときは銃身が熱く、素手では触れないので、耐熱手袋が必要です。WW2米軍ではアスベスト製のミトンが制定されていました。この写真は1943年版の補給品カタログ被服編で手袋が掲載されている頁です。右端にある「Mittens, Asbestos, M-1942」が耐熱手袋です。

 実物の写真です。アスベストの健康被害への懸念で積極的に廃棄されたのか、ほとんど見かけません。 幸運にも1年ほどのウォッチでeBayに出物があり、海外発送を嫌がる出品者を口説いて送ってもらいました。その後も出物はみかけません。

  内側に1943年製のスタンプがあります。戦後はアラミド繊維製に切り替えられました。形状はほとんど同じで、色は薄黄色です。

 HBOのドラマ『The Pacific』でも、重機関銃の射手をつとめる主人公(レッキー)がアスベストミトンを携行しています。片手だけのようですが、教範上は両手ペアでの携行です。ただし、左右の違いはなく、1種類の片手ミトンが2つでペアになります。右手用・左手用の区別はありません。

 勲章を授与されることになったガダルカナルの戦いで高熱の銃身により火傷した主人公(バジロン)は、その経験を活かして硫黄島上陸時には自作のキャリングハンドルを機関銃に付けています。彼が持つ空冷式M1919でもミトンは装備品ですが、 M1919は銃把を外せば、レシーバから銃身一式をそのまますっぽ抜くことができるので、ハンドルや巻き布などで放熱筒の保持さえできればミトンがなくてもなんとかなるのかもしれません。

 耐熱ミトンは米軍に限らずどの軍隊の機関銃チームでも必須アイテム(のはず)です。ドイツ軍の銃身交換用耐熱ミトンは海外でレプリカ商品が出ています。ヤフオクでも輸入して出品をされている方がいらっしゃいましたが、残念ながらあまり注目がされていなかったようです。ドイツ軍の機関銃チームを再現するときこそなくてはならないアイテムだと思います。

HBOの連続ドラマ『The Pacific』はアマゾンプライムビデオにラインナップされています。プライム会員であれば無料でご覧いただけます。この機会に
ぜひ。

M1919機関銃用の木箱を再現する。

WWII時代にミシガン州サギノーのGM工場で生産されたM1919A4が工場出荷された時の木箱を再現しました。

 ブローニングM1919機関銃用の木箱は海外でもDIYが盛んです。ネットで調べると、だいたい銃と三脚と弾薬箱が一緒に入ってキャスターが付いている。射場への持ち運びしやすい利便性を重視しているのでしょう。

 撃つ必要のない無可動。ここはやはりオリジナルに近い形で再現したい。ただ、戦地では基本的に機関銃の木箱は、保管収納する必要がある艦船を除けば軍用としては存在しません。唯一、工場出荷時のものがあるだけです。その木箱も戦地では薪や木工材料として解体使用されたでしょうから、現存するものはほとんどないようです。

 地上戦用として出荷された機関銃の木箱で確認できるのは2種類あります。縦置きで収納するタイプと横置きで収納するタイプ。縦置きタイプは戦中で、横置きタイプは戦後バージョンです。今回は縦置きタイプを製作しました。

 ステンシルはミシガン州サギノーにあったゼネラルモーターズの工場で生産されたM1919A4用の木箱を再現しています。「30 BMG」「M19A4」「MICH」など、文字が省略されているのは実物に倣った通りです。

 ところで、銃身に対して木箱が大き過ぎるのでは?と思った人は勘がいいです。この木箱は水冷式M1917機関銃と共用でした。第二次世界大戦後に水冷式が廃止されると、木箱はM1919にあわせて横置きタイプのスリムなものになりました。

 木箱にはかなりのクリアランスがあるため、このように二脚や属品も一緒に収納できます。

 今回製作した木箱は、無垢板の反りで隙間が目立つうえ、間仕切りも本来の溝継ぎを省略しています。出来は甘いですが…見た目の雰囲気は良いと思います。

マーキング再生は下記のブラザー社製のカッティングマシンを使っています。WWII時代のマーキングはステンシルではなくスタンプが多いので、スタンプを再現する際にカッティングマシンは重宝します。