これまでミリタリーの趣味を30年ほどやってきて感じるのは、国や時代を区切ったり、属品を含めた武器装備といった系統的なコレクションを目指すなら、まずは教範を手にいれるのが良い、ということです。
本稿は一部の記述に不正確な表現があった箇所を訂正しています。訂正箇所は本文中に下線部で示しています。(2020年10月11日)
コレクションのきっかけは、憧れのモノを目にして、なんとか手に入れて、そこからもっと知識を得たい、もっと集めたいというのがオーソドックスなスタートでしょう。しかし、自分自身の経験からすると、やはり最初に公式資料(教範など)に目を通しておけば、回り道をせずにすんだし、何よりもより深い理解のうえで愉しめたのではないかと感じます。
第二次世界大戦の米軍が使用した60ミリ迫撃砲と属品一式です。ここまで集めるのに、けっこうな時間と労力を費やしました。これを見て「自分もこんなふうに集めたい!」と思うのが人情だと思います。しかし、この組み合わせは、厳密にはデタラメなのです。
市販の専門書や概説書、ネットのブログなどは、参考になる情報は多いです。むしろ着装を目指した被服装備にかんしては、公式資料だけでは把握が難しいため、先達の知見に頼るのは不可欠であると言えます。しかし、やはり頼るべきものとして、当時の軍が発行した公式資料に勝るものはありません。公式資料があれば、ここで紹介したような、いっけん、完成度が高く見えるコレクションの誤謬も見破ることができます。
60ミリ迫撃砲の公式資料です。左から1942年版の教範(FM23-85)、同追補版、同1945年版、右端が備品カタログリストです。自分はコレクションが佳境に入ってから、これらの資料を入手しました。あくまでも属品の一環としてでしたが、これらの資料に目を通すことで、それまでコレクションの過程で次々と出てきていた疑問の多くを解消することができました。
自分が目指す時代のコレクションからみて、どれとどれが不要で、どれが必要であるか、むしろ同好の人たちが注目していないものこそ探す価値がある。そんなことが、公式資料に目を通すことで見えてくるようになります。
米軍の公式資料、とりわけ第二次世界大戦当時の教範類は、おそらく世界各国の各時代の軍隊資料のうち、最も入手がしやすいのではないかと思います。発行された資料は膨大ですが、そのうちの少なくない資料を、インターネットから無料のPDFデータとして入手することができます。
世界最大のインターネットデータアーカイブです。「WW2コレクション」から発行年と著者・発行機関を指定して検索することで、第二次世界大戦当時に米軍が発行した2000冊近くの教範類を閲覧・ダウンロードすることができます。
Internet Archive
https://archive.org/details/wwIIarchive
インターネット上にない資料はオンライン通販で入手します。米軍の教範類はオークションのeBay、古本モールのAbeBooksがオススメです。
http://www.ebay.com/
https://www.abebooks.com/
系統的なコレクションでは、各年代の区分が重要になります。教範も数年おきに改訂版が出ており、自分が目指す年代と、その前後の資料を入手すると、コレクションすべきものの位置づけや意味が明確になります。上記の60ミリ迫撃砲でいえば、教範『FM23-85』は、1940年・1942年・1945年に発行されており、これら三冊に目を通すことで、 戦法と装備の変化を把握することができます。また、教範に未掲載の装具については、軍需部(Ordnance)や需品部(Quarter Master)の公報などでも採用の時期や意図を知ることができます。
これから系統的なコレクションを目指したい方、また、すでにコレクションが佳境に入っている方も、まずはインターネット上で自分が目指す対象の教範を探してみてください。 「ああ、そうだったのか!」という気づきと、よりコレクションの愉しみを実感できると思います。
【おまけ】第二次世界大戦時の米軍60ミリ迫撃砲の装備品として、写真のなかのなにがデタラメなのか、わからないままだと気持ち悪いと思いますので、下記に正解を記します。 赤色で囲った番号1~6は、それぞれ時代の相違があります。
【1】この60ミリ迫撃砲は、トレバースバーに防塵スレッドが追加された改良型のM5マウントです(1945年製造)。第二次世界大戦では、トレバースバーが剥き出しのM2マウントがつかわれました。ただ、M2マウントは戦後にM5マウントへ改修されたため、コレクター市場にはほとんど存在せず、入手は極めて困難です。
【2】第二次世界大戦での60ミリ迫撃砲の砲弾は、主に18発入りの紙筒と木枠の梱包でした。戦争後期には10発入りの木箱が登場しました。この写真に写っている金属缶は、戦争後期に登場した8発の砲弾を収納するもので、落下傘部隊と太平洋戦域向けに使用されたとみられます。
【3】迫撃砲の床板を収納するバッグです(Base Plate Bag M4)。1940年教範では、迫撃砲班の班長が携行するように定めがありましたが、1942年教範では、床板を含む迫撃砲一式を射手が携行するように戦法が改められ、このバッグも備品から削除されました。なお、海兵隊では、1943年以降も旧戦法を踏襲しているため、このバッグが継続使用された可能性があります。
【4】夜間の照準に使用するための照明具です。1944年にM5マウントとともに採用されたと思われます。第二次世界大戦で使用されたか否かはわかりません。
【5】標桿と標桿灯です。採用は戦争集結前後と思われ、第二次世界大戦での使用は確認できません。なお、60mm迫撃砲の標桿は、1945年まで、教範上は“即席”(Improvised)とあります。砲弾の梱包資材(芯につかう鉄棒)や枝木などを流用したものと思われます。
【6】各種器材を収納するバッグです(Ammunition Bag M1)。 1940年教範では、迫撃砲班の班長が携行するように定めがありましたが、1942年教範では、このバッグは備品から削除され、班長は12発の砲弾を携行できるバッグ(Ammunition Bag M2)を着用するように改められています。 なお、海兵隊では、1943年以降も旧戦法を踏襲しているため、このバッグが継続使用された可能性があります。
仮に1943~1945年のヨーロッパ戦線における米陸軍歩兵の60ミリ迫撃砲(ライフル中隊火器小隊迫撃砲チーム)を想定した場合には、上記の赤印1~6の属品・装備品は、いずれもコレクションやリエナクトメントにおける対象外、もしくは代用品としての扱いとなります。分隊装備品の再現は、下記の記事をご覧ください。
WWII米軍ライフル中隊火器小隊の60mm迫撃砲分隊は、分隊長1、砲手1、助手1、弾薬手2の5名の編成。それぞれの携行品を再現してみました。鉄帽・被服・背嚢・防毒面・軍靴は含んでいません。想定年代は1943~1945年。一部、推測と不足品もありますのでその点ご了承ください。