Australian Armour & Artillery Museumを再訪しました。#2

前回訪問時と比べて収蔵品が増えているだけでなく、車両の内部やエンジンが見られるようになっていたり、同型車種が新旧で比較できるようするなど、見学者に優しい展示になっていました。

 トップの画像は連合軍(米英軍)の装甲車です。手前からハーフトラック、スカウトカー、スタッグハウンドの対空砲と偵察車。

グレイハウンド。37mm砲を搭載したM8ですね。

 水陸両用輸送車アムトラック。写真で見ると大きさを感じづらいですが、目の前に立つとすごく大きいです。HBOドラマ「The Pacific」で輸送艦から紺碧の海へと発進するシーンが印象的。WW2米軍の車両では、M3軽戦車、M5牽引車と並んで好きな車両のひとつ♪

 これ、珍しいんじゃないですかね。豪軍版ユニバーサルキャリアを改修して40mm対戦車砲を搭載したタイプ。 乗員にとっては戦車装甲車と対峙するのは御免でしょうが、歩兵にとっては砲で機関銃を破壊したりと心強かったでしょうね。 

 スチュアートM3軽戦車。右が初期型、左が改修型A1。新旧隣同士で比較ができるようになっています。

 初期型はたくさん30口径機関銃が付いています。前面に1丁、左右に2丁、砲の同軸に1丁、砲塔車外に1丁の計5丁。

 それに対して改修されたA1型は車台は同じで左右の機銃ポッドを埋めたり、物入れを増設しています。

 車体後部の違いもこのように比較できます。

 改修型A1はハッチを開けて車体内部が見られるようにしています。オイルが漏れているので自走できる車両のようです。

 こちらはグラントM3中戦車のコレクション。左2両が戦車、右はM3中戦車の車台をつかって兵員輸送車に改造されたカナダ軍のカングーです。

 以下はM3中戦車の車体内部の様子です。スマートフォンで撮影したので、画角が狭く見えづらいですが…クリックすると拡大写真が出るので資料として必要な方はぜひ。

 前回訪問時には収蔵されていなかったシャーマンM4中戦車もコレクションに加わっていました。

 次は火砲類をレポートします。

Australian Armour & Artillery Museumを再訪しました。#1

オーストラリア・ケアンズの装甲大砲博物館を2018年の年始に再訪しました。収蔵品が増えていたのと前回2015年の訪問時は体験できなかったライフル射撃をしてきました。#1ではドイツ軍の兵器をご紹介します。

2015年に訪問したときのレポートはこちら。#1 #2 #3

 2年前に訪れた時と比べて収蔵品が増えてました。特にWW2ドイツ軍関係。車両と火砲が充実しています。映画『フューリー』のレプリカタイガー555号も展示されています。

ハーフトラック2車種。兵員輸送車SD.KFZ.251/1と指揮通信車250/3。

 こちらは映画でおなじみのレプリカハーフトラックとしてよく使われる チェコOT-810装甲車。

 チェコスロバキア併合でドイツ軍の装備品となった38トン戦車。

 小柄な38型駆逐戦車ヘッツァー。

 1号戦車の砲塔。 15センチ自走砲のフンメルもレストア完了次第お目見えするようです。

 WW2ドイツ軍のポータブルMG掩体。珍しいのかよくわからないけど、こういうのは戦車・装甲車より好きです。

 火砲もコレクションがかなり充実しています。ドイツ軍の車両と火砲だけで1ガレージ分あります。火砲は以下の通りです。

 対空砲の弾倉と予備バレル。兵器も属品があって機能するので、このような展示は個人的に嬉しいですね。 

 最後は第一次世界大戦時の7.58センチ迫撃砲です。迫撃砲ですが、ライフリングがあり、複座機と駐退機をもつ機構です。ストークブラン式の軽量墜発式にとってかわられました。

 次は連合軍関係の車両を中心にレポートします。

博物館に収蔵展示されているレプリカタイガー戦車が登場する映画『フューリー』は、アマゾンプライムビデオにラインナップされています。プライム会員であれば無料でご覧いただけます(2019年3月17日現在)。

慟哭のキャタピラ…獅子神社参拝

今週、仕事の関係で静岡県を訪れる機会があり、富士宮にある若獅子神社にお参りに行ってまいりました。雲ひとつない秋晴れのなか、静かに参拝させていただきました。

 若獅子神社は、皆さんご存知の通り、戦前の陸軍少年戦車兵学校跡地に建立された神社です。大戦中に戦没された少年戦車兵と同校教職員の皆さんを祭神として合祀しています。

 若獅子神社の正面です。鳥居の向こう側に見える白塔は、神社建立前に有志によって、戦没者の御霊を慰め、悼むために建てられた「若獅子の塔」です。

 こちらは祭神のお名前が記された石碑です。冒頭に刻印された岡田資将軍は、短い間でしたが陸軍戦車学校の校長を務められました。終戦時は東海軍司令官として中部地方の防衛に尽力され、映画『明日への遺言』でも知られるように、その職責ゆえに戦後の戦犯裁判で刑死されました。

 神社の入口には、当時の門柱が両脇に残されています。この門柱を出た卒業生六百余名が戦争で亡くなっているそうです。現在の神社がある場所は、旧少年戦車兵学校の敷地約30万坪という広大な土地のなかのほんの一部です。正門は別の場所でしたので、門柱はおそらく移設したのでしょう。「陸軍少年戦車兵学校」の銅板は、戦後に再現されたものらしいです。

 若獅子神社に奉納されている陸軍の主力戦車九七式中戦車(チハ車)。激戦地であるサイパン島から帰還した戦車第九連隊所属の車両です。この車両は、元戦車兵でサイパン島の玉砕を生きのびて復員された下田四郎氏が、戦後に資財を投げうって尽力し、サイパン島から帰還させた2両のうちの1両です。もう1両は、東京九段の靖国神社に奉納され、遊就館で展示されています。

 下田氏の著書『サイパン戦車戦』(旧版のタイトルは『慟哭のキャタピラ』)には、当時の戦車第九連隊壊滅時の様子が克明に記されています。いまなお弾痕が生々しいこの戦車を目の前にすると、胸が締めつけられるような思いを感じます。

 国内に現存するチハ車は、下田氏が帰還させた2両と、近年に千葉県で発掘され、栃木の那須にある私設博物館に収蔵された残骸をあわせた3両のみだと思われます。

 若獅子神社のチハは、帰還後、二度にわたる補修と屋根の整備が浄財によってまかなわれていますが、長年の風雨によって、転輪部などは朽ちてボロボロになっています。しかし、私はこれで良いと思います。下田氏は著書のなかで“戦車兵にとって戦車は棺桶”ということを述べられています。実際にサイパンの浜辺に埋没処理されたチハを掘り出した際に、車内にあった白砂を持ち帰って、遺骨がわりに遺族の皆さんにお配りしたということです。このように朽ちて落ちた錆の破片もきれいに台座の上に安置されているのは、そのような経緯があってのことなのでしょう。

私財を投げ売ってサイパンから戦車を持ち帰った下田氏の活動を紹介した書です。関心のある方は『サイパン戦車戦』と合わせてお読みください。

若獅子神社に祭神として祀られている岡田資将軍の戦犯裁判を描いた映画です。Amazon プライムビデオでご覧いただけます。