WWII 米軍 小火器向け補給用弾薬箱「Packing Box M1917」

「Packing box M1917」は、様々な弾薬補給につかわれたので、木箱そのものの外形は同じでも多くの種類があります。時代によって、木箱の塗装やマーキングの内容も変遷があります。

トップの写真は、第二次大戦での第101空挺部隊の活躍を描いたドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」第五話のシーンです。バストーニュの森へ向かうE中隊の兵士らは、不足していた弾薬類を戦場からかき集めます。兵士らは木箱から取り出した補充弾帯(バンダリア)を手に、敵と寒さが待ち受ける森へと向います。

米軍の小火器向け補給用弾薬箱は、長らく「Packing box M1917」という木箱がつかわれてきました。名称からわかるように、第一次大戦に採用されたものです。ライフルや機関銃用の30口径弾(30-06)や50口径弾、カーバイン、45口径弾、12番散弾などの補給に、第二次大戦が終結するまで各戦場でつかわれました。

上記の写真は左右いずれも1944年に撮影されたものです。左の写真は米本土西海岸での演習時の様子で、30口径弾の木箱をトラックに積載しています。右の写真はマーシャル諸島攻略作戦前の船上風景で、陸軍第七師団の将兵が50口径弾を開梱しています。

木箱の外寸は、高さ18-7/16インチ(468mm)、奥行き9-7/16インチ(240mm)、幅14-13/16インチ(376mm)、体積は1.5平方フィート(4205リットル)です。木箱そのものの重量は12ポンド(5.4kg)で、おおよそ100ポンド(45.5kg)以上の耐荷重があります。

構造はなかなか凝ったつくりになっています。 木箱の板材は、それぞれ溝や切り欠きを加工して互いの板材が支え合う構造になっています。耐荷重を得るためです。

このイラストは技術教範に掲載されているもので、木箱を開梱してM1ライフル用の補充弾帯(バンダリア)を取り出すまでの一連の動作を示しています。イラストにある説明(動作説明A・B・C、物品紹介1~8)は以下の通りです。

上蓋は側板からのびた6本のロッドを蝶ネジ(1)でとめています。蝶ネジを外して上蓋をとると(A)、なかには内容品(弾薬種別等)を示す紙製のカードが入っています(2)。木箱の内側は金属製のライナーで密封された状態で、取っ手(4)を引っ張りライナーを開けます(B)。上面にある保護用のフェルト(3)を外して、補充弾帯(5・6・7・8)を取り出します(C)。

上記はM1ライフル用の補充弾帯(バンダリア)のレプリカです。 補充弾帯には各ポケットに8発クリップ計48発が入っており、内容品を示す紙製のカードが入っていました。木箱には計28本の補充弾帯が梱包されており、1箱で1344発の弾薬を補給しました。

ところで、今回、話題にしたいのは、塗装とマーキングの変遷です。

「Packing box M1917」は、様々な弾薬補給につかわれたので、木箱そのものの外形は同じですが多くの種類があります。また、時代によって、木箱の塗装やマーキングの内容も変更があります。以下では、歩兵の主力火器である30口径弾(30-06)の補給用弾薬を中心に、リエナクターやコレクターにとって必要な見分け方を当時の教範をもとに紹介します。

「Packing box M1917」の塗装とマーキングは、おおむね1942年以前・1942年~1943年・1943年~1945年頃・1945年以降に区分できます。その区分をイラストで示したのが以下になります。

まず、1942年以前は、このように未塗装の木箱に弾薬の種別がカラフルな色で識別できるように塗装されていました。このイラストでは赤色=BALL(通常弾)を示しています。木箱に記載される内容は、弾薬種別(”CAL..30,BALL, M2″)・数量(”1500″)・梱包方式(”CARTONS”)・製造所名(”DES MOINS ORD. PLANT”)・ロットナンバー(”D.M. 20096″)です。マーキングは黒色のインクがつかわれました。

1942年時点での30口径弾(30-06)の代表的な弾薬種別カラーコードは以下の通りです。

  • 通常弾(”Ball”):赤
  • 徹甲弾(”A.P.”):黄+青
  • 曳光弾(”Tracer”):黄+緑
  • 焼夷弾(”Incendiary”):黄+赤
  • 小銃擲弾用空砲(”Rifle Grenade”):青・白
  • 演習用空砲(”Blank”):青
  • 訓練用擬製弾(”Dummy”):緑

このカラーコードは、木箱に塗装されたほか、木箱に詰められた弾薬の個包装(紙製のカートン)にも印刷されました。

こちらは 個包装を再現したレプリカです。左の写真は徹甲弾(”A.P.”)、右の写真は曳光弾(”Tracer”)です。紙製のカートンには、このように表面に弾薬種別のカラーコードが印刷されていました。 カートンには20発の弾が詰められており、木箱には75箱、計1500発が梱包されていました。

1942年には、このように木箱全体が茶色に塗装またはステインで着色されるようになりました。戦地における偽装塗色を意識したものと思われますが、工場出荷時に対応したようで、納品済みのものを戦地で再塗装することがあったか否かはわかりません。弾薬種別の色分けは踏襲されています。

また、木箱に記載される内容は1942年以前と同様ですが、文字は黒から黄色に変更されました。米軍の梱包規定における本来の文字色は黒または白のみです。黄色のマーキングは、火薬・爆薬を充填した危険物を示す記載として戦後も踏襲されています。

1943年には、マーキングの内容に大きな変更がありました。まず、弾薬種別の色分け塗装が廃止されました。次に、 5桁の英数字からなる型式が振られています。 また、梱包方式が文字とともにシンボルマークで記載されるようになりました。このイラストでは、 型式は「T1EHA」、 シンボルマークはM1ライフル用8発クリップ補充弾帯を示しています。

型式は、小火器から大口径砲弾・爆薬にいたるすべての危険物について、木箱形状・種別・梱包数量によって定められています。小火器用弾薬は頭文字が「T」から始まるコードです。30口径弾(30-06)には「T1E」が振られています。コードの一覧は以下のWikipediaで紹介されていますので、興味のある方はご覧になってみてください。

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_U.S._Army_munitions_by_supply_catalog_designation

1943年に採用されたシンボルマークは上記の5種類です。左から、M1ライフル用8発クリップ補充弾帯(”8RD CLIPS BANDOLEERS”)、M1903/M1917ライフル用5発クリップ補充弾帯(”5RD CLIPS BANDOLEERS”)、30口径機関銃用250発キャンバスベルト(”250RD AMMUNITION WEB BELTS”)、30口径機関銃用金属リンク(”LINKED”)、50口径機関銃用金属リンク(”LINKED”) です。紙箱(”CARTONS”)のシンボルマークはありません。

シンボルマークは、識字不要で内容物が誰にとってもすぐに判別できるという点で、非常に優れた記載方法だったと思います。

1945年以降は、このように茶色の着色が廃止され、マーキングの文字も黒に戻りました。戦争終結が見えてきたなかで、偽装塗色の必要性が薄れたためと思われます。マーキングは黒に戻りましたが、前述の通り、弾薬や爆薬を直接梱包する金属缶については、戦後も長く黄色のマーキングが踏襲されています。