「戦場のタクシー」ハーフトラック

YouTube動画「戦場のタクシー」ハーフトラック(2025年7月11日公開)で、動画の尺や構成の関係上触れることのできなかった情報を含めてご紹介します。

動画のナレーションで「名前の通り、前がタイヤで後ろがキャタピラ、まさに半分トラック、半分戦車みたいな、そういう外見ですよね」(1分38秒~1分46秒)とありますが、「Halftrack」の”track”とはキャタピラを意味します。外来語由来の日本語にいう「トラック=Truck(貨物車)」と混同して誤解を生む表現になっていることをお詫びいたします。「装輪車の機動性と装軌車の悪路走破性を兼ね備えた」とご理解ください。

1.はじめに

半装軌車=ハーフトラック(Halftrack)は、戦車に追随できる機動力と防御力を兼ね備えた多目的な輸送車両です。操舵のための前輪(タイヤ)と優れた不整地走破性を実現する後部の履帯式駆動装置を特徴とします。開発は1920年代にフランスとロシアで始まり、米国は1930年代に独自の開発を進めました。その背景には、戦車の登場によって陸上戦術のトレンドが従来の塹壕戦から機動戦へと変化したことと、機動戦実現のための機甲部隊の編成と、部隊を充足させる大量の装甲車の量産整備を支える自動車産業の高度化があります。ハーフトラックは第二次世界大戦に本格参戦したアメリカ軍において、機動戦の要として、また、戦場における兵士の足として活躍しました。

アメリカ軍において1930年代に試験がおこなわれた初期のハーフトラック

2.機甲部隊運用に出遅れたアメリカ軍

1940年5月、それまで難攻不落と考えられてきたマジノ線で守られたフランスに対して、ドイツ軍はオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを迂回侵攻し、わずか一ヶ月余りの短期間で支援のイギリス軍を欧州大陸から駆逐し、フランスを降伏に追い込みました。この「電撃戦」(Blitzkrieg)による圧倒的で迅速な勝利は、アメリカ軍に大きな衝撃を与え、装備と戦術を急速に刷新する大変革のきっかけとなりました。
「電撃戦」は、装甲車両、機械化歩兵、航空支援、迅速な通信を組み合わせた新しい戦闘形態です。アメリカ軍では、1930年代から機械化部隊の編制と装備の開発に着手しており、この電撃戦を目の当たりにした時点では、戦車が約400両、装甲車が500〜600両の保有を数えたものの、それらを統合運用するための常設の機甲師団は、実にゼロでした。アメリカ軍は新しい戦争形態である「電撃戦」、機動戦に対する備えを欠いた状態で、第二次世界大戦を迎えることになったのです。

3.機甲部隊の編成と汎用装甲車の必要性

アメリカ軍は、1940年7月に機甲軍(Armored Force)を創設します。新たに編成された機甲師団は「衝撃力、火力を組み合わせ、敵の防御を突破する」能力の発揮が期待されました。その構成は、戦車、機械化歩兵連隊、偵察、野砲、工兵、通信などで構成される諸兵連合部隊です。突破力の要となる戦車に、敵地を面的に制圧するための歩兵や火力、それらの活動を支える支援職種が随伴します。そのためには、火線下でも行動可能な一定の防御力を備えた機動的で汎用的な装甲車が必要です。ハーフトラックの整備が進められた理由です。1930年代から続けられてきた車両開発の結実として、歩兵輸送型のM3、砲牽引型のM2が制式採用され、1940年から生産をスタートしました。

4.高い実用性から生まれたハーフトラックの派生バリエーション

戦争の進展に伴い、ハーフトラックはその高い実用性と汎用性、量産性が評価され、様々な派生型を生みます。簡略化された設計による連合国向けのレンドリース型(M5・M9)が生産されたほか、機甲師団の増設と戦地における要求に応じて、対戦車砲、榴弾砲、迫撃砲、対空砲などの様々な火砲を積載した自走砲や、通信機や牽引機や搭載した車両も生産されました。

四連装50口径機関銃を搭載した対空自走砲型ハーフトラック

5.大量生産を支えた車両規格の標準化と企業間調整

第二次世界大戦を迎える前のアメリカ軍においては、平時の調達法に基づく最低価格入札方式の弊害が存在していました。入札者に対して詳細な設計仕様を要求することができないことで、多種多様な車両が混在し、メンテナンスやスペアパーツの供給が複雑になるという問題が常態化していたのです。
しかし、戦時中に生産をスタートしたハーフトラックに関しては、標準化と企業間調整により、調達に関する課題が克服されました。

具体的には、兵站総監部(Quartermaster Corps)がハーフトラックのシャーシに商用トラックをベースにした2種類の形式を採用することで規格を統一して量産性を上げたこと、実際の生産においても、兵器局(Ordnance Department)が主要メーカーと協力してハーフトラック統合委員会を1942年9月に設立し、設計や生産管理の調整をおこなう体制をつくりました。これにより、部品の下請け業者を含めれば全米に数百ないし数千に及ぶ生産体制の効率化を実現したのです。このような国を挙げた生産体制の強化を背景に、ハーフトラックは自走砲を搭載した派生型も含めて、1945年の戦争終結までに約4万両にも及ぶ数が生産されることになったのです。

6.文献リスト

  • “Mechanization on the March”. Army Ordnance, vol.XXI, no.125, March-April 1941, pp.477-484.
  • Maj. Gen. C. L. Scott. “The Armored Force : Newest Fast-Moving Power of Our Army”. Army Ordnance, vol.XXI, no.126, May-June 1941, pp.603-606.
  • Maj. J. E. McInerney. “Half-Tracks for Mobility : New Scout Cars and Personnel Carriers for the Modern Army”. Army Ordnance, vol.XXII, no.128, September-October 1941, pp.213-216.
  • Harry C. Thomson, Lida Mayo. The Ordnance Department Procurement and supply. Office of the Chief of Military History, Department of the Army, 1960.

先頭に戻る