ホーネットミュージアム(カリフォルニア)

2018年の夏に、下のチビとカリフォルニアへトレッキングへ行った際に、サンフランシスコ近郊にあるホーネットミュージアム(USS HORNET MUSEUM)を訪れました。

ホーネットミュージアムは、除籍された航空母艦をドッグに繋留したまま博物館として公開している施設です。ホーネットは、第二次世界大戦さなかの1943年末に就役したエセックス級航空母艦で、太平洋戦域では戦艦大和への攻撃にも加わった歴戦の艦です。戦後は改修によってジェット機を運用し、主に太平洋艦隊の主力艦として、朝鮮戦争やベトナム戦争に従事したあと、1970年に退役しました。退役の前年には、人類初の有人月面着陸を果たしたアポロ11号の回収にも従事しています。

サンフランシスコは半島状に突き出た突端にある街で、そこから海を隔てた反対側のアラメダという街にホーネットミュージアムがあります。サンフランシスコ市街から公共交通機関をつかって行く場合は、BART(ベイエリア高速鉄道)で最寄りの「12th St/Oakland City Center」駅で降車します。駅からはかなり離れていますし、港湾地区で人気も少ないので、駅からタクシーかUberで向かうのがよいでしょう。私たちは行き帰りともにUberをつかいました。Uberはスマホですぐに呼べるので便利です。

艦艇や航空機に詳しくないので、たいした解説ができません。写真で雰囲気を感じていただければと思います。

休止中の軍港に繋留されているため、一時除籍?された輸送艦なども繋留されています。
格納庫にはWW2時代のレシプロ機が展示されています。雷撃機。思ったよりも大きいですね。
こちらは戦闘機。翼が折りたたみ式です。
太平洋戦域での撃墜機数・撃破艇数を表示したスコアボード。左下には戦艦大和への艦載機による攻撃実績(魚雷4発・爆弾3発の命中)が記されています。このスコアボードを見てチビが怒っていました。
戦後の哨戒機や救難機も展示されています。
上部甲板にはジェット戦闘機が展示されています。
F-14トムキャット…だと思います。
戦後のジェット艦載機を離艦させる際につかうカタパルトの固定装置。
艦内ツアーに参加すると管制室などの見学もできます。
上部甲板から見た対岸のカリフォルニア市街です。
艦内には当時の作戦風景などが展示されています。
下士官ルーム。三段の吊りベッドです。
日用品の展示です。
作戦毎の様々な展示があります。
アポロ11号回収時に使用した隔離カプセルです。

ホーネットミュージアムを見学した後は、Uberでオークランドへ。チビ念願のメジャーリーグを観戦しました。サンフランシスコジャイアンツとオークランドアスレチックスのお隣同士対決。アスレチックスは、映画「マネーボール」の舞台になった伝説の球団です。当時は革新的だったデータ戦略を採用したマネージャーは、今もこの球団で副社長をされています。この日はなんと延長11回の試合で、アスレチックスが勝利しました。

ホーネットミュージアムの公式ホームページはこちら。
https://www.uss-hornet.org/

弾薬補給のイノベーション“Ammunition box M1”

1942年後半に機関銃向けに採用された金属缶方式は、従来の弾薬補給が抱えていた課題の多くを解決しました。まさにイノベーションといえます。事実、この補給方式は現代にいたるまで踏襲されています。

 米軍歩兵部隊での30口径機関銃の弾薬補給は、長らく小銃弾薬と共通の木箱(”Packing box M1917″)によって行われてきました。

 木箱には、紙製のカートンに個別包装された計1500発の30口径弾(30-06弾)が梱包されていました。この木箱を開梱して取り出した弾を、装弾器を使用して機関銃用の弾帯にします。キャンバス製のベルトに弾を押し込んで、250発の弾帯をつくります。 250発の弾帯は、属品としての木製弾薬箱(”Ammunition Chest”)に収納されます。

 木製弾薬箱(”Ammunition Chest”)はモデルチェンジがされています。左が初期、右が後期です。第二次世界大戦でオーソドックスな後期タイプは、正式名称を「Chest, Ammunition, 49-1-84」といいます。弾箱の形状が変更されているほか、持ち手のストラップがレザーからキャンバスに変更されています。

 木製弾薬箱に250発の機関銃弾帯を収納した様子です。

 しかし、米国が第二次世界大戦へ本格参戦すると、この従来の方式は改善が必要となりました。戦地で機関銃の弾帯をつくるよりも工場出荷段階で弾帯にして送ったほうが効率が良いからです。

 そこで当初は、カートンにかわって250発の弾帯を梱包した木箱が出荷されました。1943年に発行された小火器弾薬技術教範(TM 9-1990)の補遺C2に掲載されているイラストです。布製弾帯を示すシンボルマークが描かれています。しかし、まもなく金属缶(”Ammunition box M1″)に移行しました。現代にいたるまで、通称「アモカン」と呼ばれるものの登場です。

 同じく補遺C2に掲載された金属缶とその梱包です。1缶に250発の弾帯を収納した金属缶4缶を木枠で梱包した1000発で弾薬補給ができる方式です。金属缶は取っ手のついた蓋がラッチで開閉できる仕組みで、ガスケットにより密封されていたため、防水性能がありました。

以前に金属缶の木枠梱包を再現しています。記事はこちら。
30口径機関銃弾用の木製クレート製作 #3

 この金属缶方式は、梱包を解いて金属缶を手にそのまま作戦に搬出でき、蓋を開けてすぐに機関銃へ装弾が可能な点で非常に優れた方式でした。前線において装弾器による弾帯づくりと、弾薬箱への弾の入れ替えという2つの作業を省略したうえ、軽量化と防水も実現したのです。金属缶”Ammunition box M1″の登場は、まさにイノベーションといえます。事実、この補給方式は現代にいたるまで踏襲されています。

 戦後の新型金属缶M19A1の梱包です。このように、現代も第二次大戦当時のM1で採用された方式とほぼ同様です。

 金属缶が採用された正確な時期はわかりませんが、1942年5月発行の小火器弾薬技術教範(TM 9-1990)の本冊及び同年9月発行の追補版(”C1″)には記載がないものの、同年11月に編纂された軍需学校教範(OS 9-18)には、従来の木箱にかわり金属缶が開発された旨の記載があることから、1942年後半には採用され、1943年以降には戦地へ出荷されていたと思われます。そして、金属缶への移行は、スムーズに行われたと思われます。

 金属缶(左手前)と従来の木製弾薬箱(右奥)です。大きさは一回り違い、重さも木製弾薬箱が約2.3kgであるのに対して金属缶は約1.5kgと軽量です。

 これは、戦地の兵隊の身になって考えてみるとわかりやすいと思います。仮にあなたが機関銃チームの一員であったとしたら、木製で重く嵩張り、弾帯が1本しか入らない木製弾薬箱はすぐに武器係に返納して、軽く防水性に優れた金属缶を携行するでしょう。金属缶は使い捨て”expendable”と規定されていますが、棄てずに弾薬箱として再利用することも可能です。そのうえ、員数管理が不要であることは、戦地の兵士には歓迎されたはずです。弾薬箱以外の用途――壕の雨水出しや簡易便器、調理器具など――に使うことも可能だからです。

 HBOのドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」(→Amazon)では、第二話の最後に、トラックの荷台で金属缶を調理器具としてつかう様子が描かれています。これはフィクションなどではなく、員数管理がされない使い捨て金属缶ならではの用途と言えます。

 金属缶への移行がスムーズだったと思われる根拠は教範にも見られます。1943年6月発行の水冷式機関銃M1917の備品カタログでは、従来の木製弾薬箱”Chest, Ammunition, 49-1-84″は削除され、かわりに金属缶”Ammunition box M1″が備品として掲載されています。1943年半ば以降の歩兵用機関銃チームを再現するならば、金属缶を装備するのが良いでしょう。