The Beck Museum Report

今年の夏にオーストラリア・ケアンズに旅行で訪れた際に立ち寄った軍事博物館です。名前の通り、ベックさんというコレクターが自宅の庭(と言っても農家のようでとても広いですが…)につくった私設博物館です。場所はケアンズから西へ車で約1時間ほどの距離(というと、おそらく約80km)のマリーバという町の外れにあります。

公式Facebookはこちら。https://www.facebook.com/The-Beck-Museum-132862393451374/
場所はこちらのGoogle Mapで。https://goo.gl/maps/eSgj4jZAHjB2

 先日ご紹介の「Australian Armour & Artillery Museum」とは全く違い、こう言ってはなんですが、飛行機あり、戦車あり、大砲ありのなんでもアリのコレクションです。トップの写真をご覧いただければその雰囲気が伝わるかと思います。機体や車両は埃だらけ・錆だらけで、展示してある倉庫もオンボロ(ハリケーンが来たらどうなるんだろう…)。しかし、日本のどこぞにある私設博物館と違い、ほとんどの品がホンモノではありますので、それなりに楽しめるかと思います。と、いうわけで、今回もテキトーに撮影した写真でご紹介します。

 まずは飛行機から。こちらはご自宅?の前に展示しているDC-3(C-47)と思われる機体です。

 次に左がP2ネプチューン哨戒機、右がP-39エアコブラ戦闘機(だったと思います)。飛行機はこのほかに、ジェット機なんかもあったように記憶していますが、写真に写っていないのでスルーして、お次は地上兵器のご紹介。

 P2ネプチューン哨戒機の片翼の下に御鎮座されている105ミリ榴弾砲M2です。他の展示物に比べると、おそらくリペイントもされていて、状態は良さそう。

 ボフォース40ミリ高射機関砲ですね。せっかくなら仰角をとった展示にすればもっと映えるかと思います。

 車両の紹介にうつりましょう。
 M3スチュアート軽戦車。思いっきりオーストラリア軍のペイントですが、配色がよいですね。

 ところで、コレクションが展示(=放置?)されている倉庫の骨組みは木製です。ところどころに補修の跡が…。下に少し写っているのは、確かスズキ製の自衛隊バイクだったと思います。レアでしょうか?桜印の防衛庁プレートあり。

 錆々ですが、ユニバーサルキャリア(ブレンガンキャリア)。いわゆるレストアベースと表現すべきでしょうか…。

 トラックに阻まれてよく見えませんが、LVT(アムトラック)。砲塔がない初期型っぽいですね。

 逆光で何だか良く分かりませんが、すみません。たぶん、戦後第一世代の英連邦主力戦車であるセンチュリオンかと思います(何型かは知らぬ)。

 こちらは館内にある弾薬類のコレクション…って、またまた日本軍のものしか撮影していないのですが…。

 こちらは日本軍コーナー。寄せ書きの日の丸。日本で見ても何とも思いませんが、オーストラリアで見ると、あまりいい気分はしないですね(といいつつ写真を撮ってしまう)。

 オーストラリア・マリーバにある軍事博物館「The Beck Museum」をざっくりとご紹介しました。ごった煮状態で埃だらけ、いつコレクションが散逸してもおかしくなさそう…という、マニア心をくすぐるスポットかもしれません。

 ちなみに、この博物館の近くにはマリーバ空港という、第二次大戦中に軍用飛行場として使われた場所があり、どうもその空港にも軍用機の展示がいくつかあるようです。マリーバ近郊には、ケアンズからの日帰りツアーも組まれることがあるコーヒーファームや蟻塚の名所がありますので、近くをお通りの際は(あまり期待せずに)立ち寄られてはいかがでしょうか?

Australian Armour & Artillery Museum Report #3

オーストラリア・ケアンズにある「Australian Armour & Artillery Museum」のレポート、最後(といってもたった3回だけですが…)は日本軍の大砲コレクションをご紹介します。

 コレクションと大層なことを申しましてもご覧のように五門だけですが、おおよそ古い順に並んでいます。左端から三十一年式速射砲(三一式山砲)、九二式歩兵砲(通称“大隊砲”)、九四式山砲、九四式三十七粍速射砲、右端が九一式一〇糎榴弾砲です。

 これ、ちょっと珍しくないですかね?日露戦争で活躍した三十一年式速射砲です。駐退機がない時代ですので、発砲時の反動で1発撃つたびにガラガラと大砲自身が後に下がってきます。ですので、実戦では後が少し坂になったところとか、こう配を作るなどして運用したようです。防盾もなくて、いかにも古くさい感じがグッドです!
 後に「三一式山砲」と改称されて、昭和期も制式兵器として残りました。日中戦争で動員が相次いで大砲が足りなくなると、倉庫から引っ張り出して前線に送られました。古すぎて使い方が分からない?ため、わざわざ歩兵学校から指導員を現地教育に寄こせという文書が残っています。終戦時に中国にいた日本軍の兵器引継書にも三一式山砲弾が記載されていますから、驚くなかれ、1945年の終戦まで現役だったわけです。
 で、この古くさい大砲がなぜオーストラリアにあるのか?太平洋のどこかで鹵獲されたものだった…とすると、ヒジョーに複雑な気分ですね。

 こちらは九二式歩兵砲。一個歩兵大隊で二門ずつ運用したので“大隊砲”と呼ばれました。作戦行動をとる際に大隊レベルで運用可能の火力支援があるというのは良いことのように思いますし、日本の特徴がよく出た兵器で好きなもののひとつですが、いかんせん、あまりにもチャチに見えて(さらに砲弾の命中精度があまりよくないという意味で)“大体砲”という陰口もあったそうです。70ミリの短砲身だと対戦車攻撃には非力で、特に南方戦線ではジャングル地帯で射界を確保するのも困難、分解搬送も迫撃砲に比べて労力が必要だったのではないでしょうか?


 この九二式歩兵砲は砲口が閉塞されておらず、ご覧のように閉鎖機もついたままなので、もしかしたらライブかもしれません。

 九四式山砲です。口径は75ミリ。この砲の採用により、旧式の四一式山砲は順次歩兵連隊に移管され、太平洋戦争の頃には山砲連隊は本砲を装備していたようです。

 九四式山砲を後ろから見た様子です。山本七平がルソン島でこの砲を二門率いた戦砲班の機動指揮をとったエピソードが思い出されます。

 九四式三十七粍速射砲はスルーして(すみません。写真を撮り忘れました…)、お次は九一式一〇糎榴弾砲。口径105ミリ。元はフランスのシュナイダー社が開発した砲で、初年兵教育で十榴中隊に配属された山本七平が日本軍の兵器体系のちぐはぐさに気がついたきっかけの砲ですね。

 最後に、各国の手榴弾が展示されたガラスケースにあった日本軍の手榴弾です。4つありますねぇ。右から九七式、九一式(擲弾筒兼用)、九九式(いわゆる“キスカ”型)、最後に二十三式……って、ちょっちょっとお待ちを!この写真を撮ったときはぜんぜん気がつきませんでしたが、この左端の手榴弾はコレクターの間で幻の品とも言われる(?)「二三式手榴弾」ですね。元々は日本軍のものではなく中国軍(蒋介石軍)が採用した手榴弾で、中華民国暦23年=1934年制式のものです。
 日中戦争で日本軍は中国軍から大量に鹵獲した兵器を日本軍の装備として再支給しています。制度的には準制式の手続きをとって制式兵器に準じる形で採用したものと、そのような手続きを経ずに現地裁量?で「代用兵器」として利用した二通りがあります。この二三式手榴弾は、終戦時に中国・朝鮮にいた部隊の兵器引継書に「二三式手榴弾」とありますので(代用兵器の場合は「代用手榴弾」と記載)、おそらく準制式の手続きがとられたのではないかと思います。
 南方戦線に派遣された部隊にもかなりの量が支給されていたようで、米軍の教範にも日本軍の手榴弾として紹介があります。ですから、このように日本軍の手榴弾として紹介するのは“当たらずと雖も遠からず”といったところでしょうか。

というわけで、オーストラリア・ケアンズにある軍事博物館「Australian Armour & Artillery Museum」をざっくりとご紹介しました。館内の滞在時間が約20分程度だったので、見落としたものも多いかと思います。ケアンズに行かれる際はぜひお立ち寄りください(スカイレール観光のついでならばご家族の理解も得られやすいですし)。

大ベストセラー『ユダヤ人と日本人』で知られる山本七平は、戦前に砲兵将校としてフィリピン戦線に従軍しています。この本では山本が入営前から終戦、帰国にいたるまで、日本軍で体験した様々な経験が独特の目線で綴られています。日本軍=日本社会の縮図がよくわかる、類を見ない良書だと思います。

Australian Armour & Artillery Museum Report #2

オーストラリア・ケアンズにある「Australian Armour & Artillery Museum」のレポートその2です。今回は米英豪軍の戦車・装甲車のコレクションのうち、撮影したもの(=個人的に好きな車両だけ)をご紹介します。

 冒頭の写真は、米英豪の連合国側が装備したM3スチュアート軽戦車。主砲は37ミリ。館内にあるドイツの38(t)戦車(すみません、写真ありません)もそうですが、今では見ることのない小口径砲を装備しているのが時代を感じさせます。


 倅が指をさして「あ~これウチにあるやつと同じだ!」……日本だと「シーッ、静かにしなさい!」とたしなめるのですが、ここはオーストラリアで館内は閑散としていますから一安心です…。倅「あっ、大砲の横に飛び出してるやつもウチのと同じやつ!」……。やはり空冷式30口径機関銃の放熱筒は特徴的なので子供にも分かるようです。砲塔上部の30口径機関銃クレイドルは、水冷式M1917機関銃の地上用三脚架に使うものと同じ型式ですね。

 こちらはM3グラント中戦車。主砲・副砲の二門を装備して、車高も高くて、若干、古くさいデザインですね。手前にあるケースには主砲・副砲の砲弾が展示されています。


 この戦車、てっきり戦間期に開発されたものと思いきや、第二次大戦の勃発に応じて米国で機甲部隊の拡充計画が持ち上がったときの主力戦車として開発されたそうです。多くはイギリスに供与され、米軍の参戦後もM4シャーマン戦車のつなぎ役として活躍したそうです。なお、残念ながらM4シャーマン戦車は博物館のコレクションにはないようです。

 イギリスのモーリスC8。“クォード・ガン・トラクター”という愛称のあるタイヤ式の大砲牽引車です。これも好きなデザインの車両です。民生トラックを改修して四輪駆動・装甲を施したもので、この展示のように25ポンド砲に弾薬車を連ねたカルガモ走行をしている当時の写真がよく見かけます。ただ、エンジンが3.5リッター4気筒エンジン、出力70馬力、タイヤというのもあり、不整地でのこのような運行は厳しかったのではないでしょうか。

 米軍のLVT(Landing Vehicle Track)、上陸攻撃につかう水陸両用車です。現在の水陸両用装甲車の原型になったモデルですね。初期型で砲塔のないタイプ。HBOのテレビシリーズ「パシフィック(原題:The Pacific)」でも、ペリリュー島の上陸作戦を描いた回で、搭載機銃を射撃しながらブルーオーションを進み、砂浜に乗り上げた後に主人公らが降車する(落ちる?落とされる?)様子が印象的です。


 主人公の一人、ユージン・スレッジの著書『ペリリュー・沖縄戦記』では、LVTが当時兵隊たちの間で“アムトラック”と呼ばれていたこと、ペリリュー島上陸戦の直前に揚陸艦内で乗車するLVTを見て、後部ハッチのない初期型に乗り込むことを知って憂鬱な気分になったこと(=側舷を乗り越えて降車しなくてはならない)が記されています。

 こちらは博物館の駐車場に展示してある戦車。なにも掲示板がなかったので、どこのいつの時代の戦車か分かりません。う~ん、屋外展示するならば、オーストラリアの戦車だと思うのですが…。マーキングは豪軍の白・赤・白でなくてペルーの国旗のようだし…。ご存知の方、ご教示いただけますと幸いです。


 館内にはこの他にも第二次大戦当時の車両として、ソ連のT-34戦車や英豪軍のユニバーサル・キャリア(ブレンガン・キャリア)、米軍の装輪式グレイハウンド装甲車などもあったと思います。ドイツ軍は前述のように38(t)戦車以外にケッテンクラート、88ミリ砲などがありました。他にハーケンクロイツのマーキングがある突撃砲や装甲車もありましたが、これらはレプリカという表記があったと記憶しています。


 次のレポ#3では、日本軍の大砲コレクション(といっても五門だけですが…)をご紹介します。

本文中にご紹介したHBOのテレビシリーズ「The Pacific」はアマゾンプライムビデオにラインナップされています。プライム会員であれば無料でご覧いただけます(2019年3月14日現在)。年会費も手頃ですので、この機会にぜひ。

ユージン・スレッジ著『ペリリュー・沖縄戦記』。「The Pacific」の原作にもなった書です。ドラマでは登場人物(特に親友)がだいぶデフォルメされていることがわかります。また、ドラマのなかでの兵士たちの所作の理由がよくわかるので、まだお読みでない方はご一読をオススメします。