M72 ロケットランチャーのレティクルを再生する

1960年代に米軍で採用された使い捨ての対戦車ロケット弾。放出品で破損・亡失していることが多いレティクル(照準板)を再生しました。

 M72ロケットランチャーを展開した様子です。グラスファイバーとアルミで出来た筒内に、66mm HEAT弾を1発収納しました。手元にあるのは比較的入手が容易なA2型(ベトナム戦争後の型式)。とはいえ、最近は状態のよいモノも少なくなってきました。

 ところで、フロントサイトの中身がありません。レティクル(照準線及び距離計)が印刷されている透明なプラスティック製のものです。ロケットランチャーの本体がそもそも使い捨てを目的にしていますから、もともとのつくりもラフなうえ、ロケット発射後の砲筒はぶん投げ捨てられるので、演習で使用済みの放出品として民間へ払い下げされた時点でパーツの欠品が少なくありません。

 レティクル板は、フロントサイトの枠にはめて、下部をポケット部に差し込み、2箇所のネジとバネで螺着、上部は接着剤で固定するようになっています。写真はポケット部に残っていたレティクル板の残骸です。ちょうど向かって左下の部分ですね。このように、残骸だけが残っている状態が多いようです。

 海外でも事情は同じらしく、レプリカも売られています。出来は非常に良いのですが…ここはやはり自作してみようと思います。

 図面はパソコンで比較的カンタンに作成できますし、アクリルの加工も最近は同人系のオリジナルキーホルダーの需要が多いらしく、手頃に利用できるからです。アクリルをつかったキーホルダーでは、一般的に3ミリ厚の透明板が利用されるようです。ちょうどレティクル板も3ミリ厚なのでちょうど良いですね。

 左が手元にあるM72A2 LAWのフロントサイトに残っていた残骸、右がその残骸を元に画像上で再現したものです。フロントサイトのサイズと、ポケット部に残った残骸を元に、レティクル板の大きさを決めます。カットラインと板面に印刷するレティクルの表示内容を、デザイン編集用のソフトウェア(Adobe Illustrator)をつかって図面に起こしていきます。

 こちらがデータで起こしたものです。アクリルの場合、片面印刷は裏側からなので、レティクル板の表示は左右反転させています。業者への発注に三次元のCADのデータは不要で、アクリル材から切り出すカットラインとレティクル板に表示される印刷内容を示す平面図のみで対応可能となっています。ようは設計図というよりも、印刷用のDTPデータを入稿する形ですね。データ形式もベクトルデータが一般的ですが、ビッドマップでも入稿可能な業者さんもいるので、極端なことを言えば、パソコンに付属のお絵かきソフトでも出来ないことはありません。

 発注段階で厄介な課題が出てきました。現在、一般的に行われているアクリルへの印刷とカッティング方法だと図面通りの製作が難しいとのこと。具体的には、レティクルの十字部分が両端に近接していますが、基本的にフチなしの印刷はできず、カットラインからおよそ2ミリの余白をとる必要があります。数社さんに打診したところ断られてしまい、カットは自分で行うこととして、余白を付けたママで納品してもらうことにしました。

 業者から納品された状態の写真がなく、いきなり完成写真ですが…こちらが再生した自作レティクルを取り付けた様子です。余白ありの印刷済みアクリル板をアクリルカッターで切断し、切断面はヤスリがけで処理しました。不器用なもので切断に失敗し、6枚分を納品してもらったのに生き残ったのは2枚だけ。1枚はヤフオクに出品したM72A2に付けたので、手元に残るのは装着済みのこの1枚だけになります。おそらくレプリカと言われなければ、そうとは分からない出来だと思います。

37mm対空砲M1 照準機用スコープ

照準機に2本のスコープを取り付けて使用します。戦後は自衛隊に供与され、ハーフトラックタイプの自走砲M15でもつかわれました。

 このスコープは、37mm砲と50口径機関銃2丁を組み合わせた対空砲M1の照準機M2に使用します。

 こちらが照準機M2です。スコープの型式はM7。照準機で方角と高度の測位にそれぞれ同じスコープを1本ずつ使用します。

 スコープのレティクルはシンプルで十字のみです。

 スコープにはレザーキャップとラバーキャップが付属しています。レザーキャップは保管時の破損防止、ラバーキャップは接眼時に光が入って照準に支障をきたさないようにする遮光用と思われます。

 スコープの金属製収容箱は2本セットで入るようになっており、対空砲に設置されたラックに取り付け格納するものと思われます。取り付け金具と思われる金属製のプレート1本が付属しています。

 37mm対空砲M1は1939年に採用され、米陸軍の対空自動砲大隊に配備されて第二次世界大戦を迎えます。一方で、米陸軍はその優秀さゆえに世界各国で採用された40mmボフォース機関砲を導入し、M1と交代させます。M1の威力不足が原因と言われますが、初速や射程など、37mmと40mmの性能差はスペック上は近似していますから、実際の運用面、例えば照準と算定の機構がより優れているなどの理由があったものと思われます。

 牽引砲としてより良いボフォース機関砲が導入されると、37mm砲M1は装甲車の車載砲に転換されます。ハーフトラックの荷台に37mm砲と2丁の50口径機関銃を搭載したM15は、機械化部隊に随伴可能な自走対空砲として開発されました。M15は戦後日本にも供与され、高射特科の主力として長く装備されていたそうです。

こちらでご紹介した照準機用スコープは、ヤフオクに出品しています。スコープ2本、レザーカバー、取り付け金具、収納箱のセットで、スコープは錆・曇りもなく、よいコンディションです。 ヤフオクを介さずに直接お取引の場合は出品価格から4300円をお値引きいたします。ご関心のあるかたはコメントまたはTwitterDM等でご連絡ください。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q247545567

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八九式重擲筒用試製照準子

筒身を45度の角度で正確に保持するのは可能だけど、いろいろ難しかったのでしょうね。

 日本軍の擲弾筒は砲架を持たない軽迫撃砲で、筒身を手で斜めに保持し、榴弾を砲口から装填して発射します。砲架がないため軽量で携行性に優れ、砲の運用を兵士一名でも可能にしたという点で非常に優れた兵器といえそうです。対日開戦後に米軍が急遽、60ミリ迫撃砲の擲弾筒的運用を真似たのもそれを証明しているといえます(→「日本軍を真似た…が、上手くいかなかった?米軍60ミリ迫撃砲“ONE MAN MORTAR METHOD”」

 日本軍の擲弾筒には手元にある撃針位置を上下にずらすことで射程を調節できる機構が付いていました。射撃時は斜め45度の角度で保持し、撃針位置で射程を変えるわけです。しかし、手で 45度の角度を正確に保持するのは可能ではあっても実用上は困難があったのでしょう。 1941年に採用された試製照準子の存在がそのことを示しています。

  試製照準子は「八九式重擲筒ニ取付ケ筒ニ四十五度ノ射角ヲ付与スルノ用ニ供ス」もので、螺着式のバンドで筒身に取り付ける指針型の水準器です。 この図面は防衛研究所が所蔵している現地改修のための取扱説明書に収録されているものです。筒身に穴をあけてネジ留めし、バンド部を締めて取り付けます。

 このようにバンド部には筒身の方向照準線に合わせるための溝切りがなされ、赤色のペイントもされています。 45度の発射角度に合わせることができるように小窓の夜光塗線に中のゲージを合わせるようになっています。小窓はベークライト製で、内部のゲージは傾斜角度によって動き、45度の位置で停止します。

 筒身を仰角45度に保つのは訓練で習得はできます。しかし、夜間の暗闇下で目視確認ができない場合に45度を保つコツは熟練していないと相当に難しいでしょう。ゲージに夜光塗線が採用されているのがその証です。また、日中であっても火線下ではゲージがあるとないとでは心理的にも違う気がします(焦って平常心じゃない時こそ役立つ)。 

 「試製」の名称ですが、現存する史料では1941年に陸軍兵器本部長宛で三万個の調達が指示されています(→アジア歴史資料センター「Ref:
C04123065200」
)。調達数からも全軍配備といえると思います。1942年には「八九式重擲弾筒用試製照準子説明書」として、現地で改修が可能なように作業手順も含めた取扱説明書も発行されています(この説明書は防衛研究所に所蔵されています)。

 試製照準子の普及率については史料未見のためにわかりません。ただ、米軍が戦地から持ち帰った擲弾筒が不活性処理されてコレクションとして市場に出ており、これまでオンラインで販売されてきたものを見る限りでは、試製照準子が付いているものは半数を下回る割合、およそ3割程度という印象があります。

こちらでご紹介した試製照準子付きの八九式重擲弾筒(初期型)はヤフオクに出品中で。米国で無可動処理がされた里帰り品で、 柄桿外被や砲向照準線のペイントも残る状態が良いものです。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/355876147

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